社内とはいえ、よその部門(しかも傍流)から来た人が、本流のサーバー関連事業の責任者に就く。そこではクラウド事業も手がけていたが、ナデラが来た頃は大きな収益が見込めず、部署の誰もがその可能性を本気で信じてはいなかった。しかも、ナデラの責任者就任に対しては、「多くのリーダーが、自分こそが私の役職に就くべきだと思っていた」と記されている。

 Bing事業からクラウド事業拡大の使命を負って本流のサーバー&ツール部門に行かされたナデラは、逆風を感じつつもひたすら部下の話に耳を傾け、ITインフラを自社購入・運用するオンプレミスとクラウドが両立する道を探り、共感を獲得していった。

 内部昇進者は、会社全体のことを考えた経験がないという問題点があると批判されがちだが、ナデラは周囲の話をとことん聞いて、「よそ者」としてコンセプトを練り上げるという経験を積んだ。これは正攻法のやり方ではあるが、こうした経験が、内部昇進であるにもかかわらず、企業全体を担う人材になるキャリアパスになった。だからこそ、外部のプロ経営者を押しのけて、新CEOに指名されたのだと思う。

日立やソニーを変革したのも「傍流」

 日本企業でも内部昇進で変革に成功した人にはそうした特徴がある。たとえば日立製作所の元会長で東京電力ホールディングス会長に転身した川村隆氏やDOWAホールディングス元会長の吉川廣和氏は、傍流から経営者になった。

 ソニーCEOの平井一夫氏も、その例に当たると思う。CBSソニー(現ソニーミュージック・エンタテインメント)に入社後、米ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEA)でPlayStationの北米市場開拓に取り組み、SCEA社長を務めた後に帰国し、ソニー本体のエグゼクティブバイスプレジデントに就任したのは2009年だった。それまで、ソニーの本流はテレビやウォークマン事業だったので、この経歴は傍流と言える。しかも、ナデラと同様に40代の若さでCEOに就いた。ソニーも時間はかかったが、再生しつつある。

 傍流とされる部門の出身者が経営者として必ず優れているかというと、そこまでの法則性はないかもしれない。しかし、文化の変革の担い手としては、傍流部門の出身者は適している。本流にいた人は、既存事業の限界や文化を冷静に見渡すことができず、現状の収益構造にとらわれてしまい、少し前までのマイクロソフトのように、現在の基幹事業と利益相反を起こすような新規事業に関しては、なかなか大胆には取り組めないからだ。

(次回に続く)

<span class="fontBold">サティア・ナデラ Satya Nadella</span><br /> マイクロソフトの最高経営責任者(CEO)。40年あまりの歴史を持つ同社の第3代CEO。情報科学の修士号取得のため、21歳の誕生日にインドのハイデラバードから渡米。アメリカ中西部やシリコンバレーでの経験を経て、1992年にマイクロソフトに入社。以後、同社のコンシューマー、エンタープライズ両部門で、さまざまな製品やイノベーションを主導する。マイクロソフトでの役職に加え、フレッド・ハッチンソンがん研究センターの評議員、スターバックスの取締役も務めている。また、妻のアヌとともに、シアトル小児病院や、シアトルにある障害者ら向け施設を個人的に支援している。Photo©Microsoft
サティア・ナデラ Satya Nadella
マイクロソフトの最高経営責任者(CEO)。40年あまりの歴史を持つ同社の第3代CEO。情報科学の修士号取得のため、21歳の誕生日にインドのハイデラバードから渡米。アメリカ中西部やシリコンバレーでの経験を経て、1992年にマイクロソフトに入社。以後、同社のコンシューマー、エンタープライズ両部門で、さまざまな製品やイノベーションを主導する。マイクロソフトでの役職に加え、フレッド・ハッチンソンがん研究センターの評議員、スターバックスの取締役も務めている。また、妻のアヌとともに、シアトル小児病院や、シアトルにある障害者ら向け施設を個人的に支援している。Photo©Microsoft
マイクロソフトCEOであるサティア・ナデラの初の著書。過去に大成功したゆえ、守勢に回り、モバイル化とクラウド化の波に乗り遅れたマイクロソフトをいかに立て直したかが、現役CEOの本音とともに赤裸々に描かれている。
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