忘れることで民主主義が危機にさらされる

 実際、私も精神科の臨床において、ある程度の信頼関係ができてから「忘れたほうがいい」と言うことはある(最初から言うと、相手の心の傷が分かっていないと感じさせてしまうリスクが大きい)。また、患者さんの過去の失敗や罪悪感について、「周囲の人はそんなに長く覚えていないよ」と伝えることは珍しくない。

 ただ、最近の政治家、特に首相の言動を見ていると、時間を稼げば有権者は忘れるということを前提として発言しているのではないかと思えてしまうことがある。

 自民党の衆院選の圧勝の後、よほど野党に質問の時間を与えたくなかったのか、民主党時代には野党8:与党2の比率で質問時間を割り当てたのに、今では議席数に比例した質問時間と言い出した(民主党時代は暗黒と言われるが、マスコミが自由に批判できたし、野党になった自民党に多くの質問時間を与えて自分たちのチェックをさせようという姿勢は評価していい)。多少は譲歩したものの、政府答弁が質問時間に含まれるというルールを利用して、答弁側の役人がたびたび答弁に詰まって時間をとるというテクニックを使い、野党第一党の質問者の質問時間を20分しか与えないという事態も発生した。

 この国会をやり過ごせば、マスコミも騒がなくなって、みんな忘れるだろうという計算が働いているのではないかというのはうがった見方だろうか? 代々政治家をやっていると、そういうことを親から教わったり、肌感覚になったりしているように思えてならないのだが。

 実際、老年精神医学の臨床家の立場で言わせてもらうと、2年前に安倍首相は「新3本の矢」と称して、介護離職ゼロを目指す政策を打ち出した。施設を充実させて介護のために仕事を辞める人をゼロにしようということで、普段は安倍氏を批判している私もさすがに期待した。しかし、それもすっかり忘れているようだ。

 ただ、箱物の場合は記憶が風化しないこともある。無駄に巨額の税金を使った多くの公共事業は後世の批判の対象になるが、意外にそれを作らせたとされる政治家などの名前が問題にされない。

 加計学園にしても、こうなった以上、今治市の発展に寄与するのかとか、必要とされる大型動物向けの獣医不足が解消されるのかなど、結果のフォローを忘れてはならないだろう。