大学が教えないトレーニングを

 知識のアウトプット以上に重要なのは、知識の応用や加工、あるいは知識を疑う姿勢である。

 これを持たない人が多いから、日本だと偉い人の言った学説やマスコミが流す言辞を素直に信じる人が多いという印象がある。

 これは日本の大学以降の教育に問題があるからだと私は考えている。

 確かに欧米の教育では、初等中等教育で、プレゼンテーションが盛んだし、ディスカッション型の考える教育も行われるが、やはり原則は、知識を教え込んだり、計算練習などをさせるのが基本だ。むしろ80年代に日本が台頭してきた時期に、米国や英国などでは日本型の教育を見習う方に舵が切られたくらいだ。

 ただ、大学教育は日本と違う。これまで習ってきた知識を疑ったり、それを加工応用するようなトレーニングが盛んだ。

 ある事柄について偉い学者の解説を受けた時に、欧米では、初等中等教育しか受けていない人は「そうだったのか」と反応するが、大学以上の高等教育を受けている人は「そうとは限らない」「ほかの考えもあり得る」とディスカッションを仕掛けてくるはずだ。日本では、大卒以上でも「そうだったのか」になってしまうのが問題なのである。

 実際、前述のように日本の高校までの教育は、多くの国が教育改革のモデルにしたが、大学教育のモデルを日本にしたという話はほとんど聞かない。アジアなどの優秀な留学生も、はるかに授業料が高い(その上、学生のビザではアルバイトもできない)のに米国に流れることが多い。

 要するに大学で先進国とかけ離れた知識習得型の教育を受けさせられた人が珍しくないために、日本人は知識を疑ったり、加工したりという習慣を持つ人が少ない。逆に勉強というと、読書や資格試験対策のように知識習得型だったり、定説を信じ込むようなものをイメージする人が多い。

 そして、クイズ番組で強いような知識の豊富な人間を頭がいいように思いがちだ。認知心理学における思考力というのは、知識を用いて推論する能力と考えられるが、知識が豊富でも推論がきちんとできなければ、通常は頭のいい人間とみなされない。

 たとえば知識が豊富な芸人が、それを加工して面白い漫才ができないのであれば、決して頭がいいとはされないのだ。

 物知りの割に話がウケない自覚のある人は要注意だ。