
私の尊敬する英文学者、外山滋比古先生の名著『思考の整理学』が再び注目され、3万部以上の増刷になったという。文武両道で知られる、中日ドラゴンズに入団が決まった根尾昂選手の愛読書として紹介されたからだそうだ。
この本は、既存の知識に頼らず、自分で考えることの大切さを書いた名著で、東京大学の生協でも10年間で7回も文庫売り上げ1位に輝いている。実際、この本に書かれたような形で頭を使うことで脳が若返るようで、外山先生は、90歳をすぎても矍鑠(かくしゃく)としておられる。
実は、この外山先生と『文藝春秋』誌の対談でお話をさせていただくことがあった。「定年後の勉強法」というのがテーマで、対談が始まるなりいきなり外山先生は「定年後になってまで勉強してはいけない」と仰ったのには面食らった。
その対談で外山先生の考え方をそれなりに理解し、著書も読ませていただいた。その後も私なりに旧来型の勉強をしないで、頭がよくなる方法を考えてみた。そして、中年以降は、その方が大切だと思えるようになった。
今回は、私が考えた「勉強しない勉強法」について話してみたい。
中年以降は通常の勉強をしてはいけない
この対談の中で、外山先生は次のように仰っていた。
「受験勉強のように目標のあるものは励みやすいが、机上の知識より、その先に何をするかこそが知的生活」
「子どもが文字を覚えるならいざ知らず、いまごろになって知識をインプットしてもそんなに楽しいものでない」
「文字の方が優れていると思いがちだが、話し言葉の方が刺激的。相手の反応がある。人に聞いてもらえるように話すことで頭を使う」
「自分の経験から新しい知恵を生み出し、嫌な目に遭ったらぱっと忘れて前を向く。こうして脳の新陳代謝を活発にする」
(『文藝春秋』2011年6月号から抜粋要約)
要するに、知識注入型の勉強からアウトプットへ移行し、知識や経験を加工・応用して新しい知恵を生み出せということだ。
これはいろいろな意味で至言である。
一つは時代の変化である。
スマートフォンを持ち歩いて、どんな言葉でも概念でも検索できるのであれば、知識をいちいち覚える意味が大幅に低下する。知識をそのまま披露しても、その相手がスマホでもっと深い情報を検索してしまうこともある。Wikipedia以上にわかりやすかったり、面白いものでないと聞いてももらえない。
昔は米国などに留学したり、読書で知識を仕入れたりし、人並み以上の知識を持つことができれば、十分社会で通用したし、テレビのコメンテーターや大学の教授にすらなれた。今は、知識の価値が相対的に落ちたのは間違いない。
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