何のために勉強するのか

 私が、自分は「昔はバカだった」と思う最大のポイントは、世の中に「正解」があると考えていたことだ。

 精神分析の勉強にしても、老年医学の勉強にしても、勉強をしていれば、あるいは経験を積んでいけば、正解にたどりつけると信じていたのだ。

 このやり方で治療すれば患者が良くなるという正解を求める発想であれば、仮に何回かうまくいくと、それが正解だと思いかねない。しかし、その次の患者には当てはまらない可能性は決して小さくないのだ。

 自然科学の世界だって、それまで信じられていた説がひっくり返されることはざらにある。ノーベル賞の多くはこれまでの説をひっくり返したような研究に与えられるものだ。これが答えだと学んでも、10年後にその答えが正しいとは限らない。脳科学にしても、人間の生きている脳を使って研究できないのだから、あくまでも仮説である。行動経済学にしても、それが経済学の正解とは限らない。もっと複雑な要因を包含できる新たな理論だって生まれることだろう。

 ということで、昔は正解を得たいと思って勉強していたが、今はいろいろな可能性やいろいろな考え方を知るために勉強するようになった。そうしておけば、ある説がダメだと分かっても簡単に別の説に乗り換えられるからだ。あるいは、場合に応じて正解を変えることもできる。

 歴史の学説にしても、例えば南京大虐殺で何人死んだとか、実際になかったとかいろいろな説があるが、どれが正しいと意地を張るより、どの可能性もあると思うようにしたということだ。

 したり顔で知識をひけらかしたり、学説を主張する人より、この手の柔軟性がある人のほうが私には賢く見えるし、これなら歳を重ねても賢くなっていける気がする。

 もちろん、この考えも将来変わるかもしれないが、今、私の考える頭の良さやそれを達成するための暫定的な結論を『新・頭のよくなる本』(新講社)という本にまとめておいたので、目を通していただけると幸いである。

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