知識社会で生き残るための「頭の良さ」とは?
“感情の知能”を弱める「二分割思考・かくあるべし思考」に要注意
社会がアメリカ型になってきたり、知識社会と言われるようになってくると、あるいは、単純労働がロボット(かつては移民)などで代替されるようになってくると、知的レベルの高い人間、頭のいい人間だけが生き延びるようなことが言われる。
今回は、サバイバルのための頭の良さ、あるいは、それを獲得するにはどうすれば良いかを考えてみたい。
一流の大学院を出ているのに社会に出て成功できない人は、「思考力・判断力・表現力」は高いが、自分の感情のコントロール能力や自己動機づけ能力、対人関係能力が悪いことが明らかになった。(c)Asawin Klabma-123RF
頭の良さの定義は一つではない
頭の良さの定義は、昔と比べて多様になっている。昔であれば、仕事の処理能力が高い人、あるいはペーパーテスト学力が高い人であれば、頭がいいと言われただろう。ところが、2020年度の大学入試改革の答申では、知識や数学の問題を解く能力などは従来型の学力と切り捨てられ、思考力・判断力・表現力を中心に評価すると明記されている。
一方、現在の心理学(脳のソフト全般を扱う学問であり、知能テストは世界で最も使われる心理テストとされる)では、頭の良さの定義は様々な形でなされている。もともと知能指数が高い人間が頭のいい人間とされていたのだが、ハーバード大学のハワード・ガードナーという心理学者が1980年代に「多重知能論」というものを提唱した。
言語的知能や論理数学的知能のように、一般にテスト学力につながるものだけでなく、音楽的知能や対人的知能など8つの知能を想定した。要するにいろいろなタイプの頭の良さがあると考えられたのだ。
1990年代になると、ハーバードのビジネス・スクールのような一流の大学院を出ているのに社会に出て成功できない人が2割ぐらいいることが問題視されて、そういう人たちに欠けている能力の研究がされた。彼らにはペーパーテスト学力だけでなく、入試の際に面接も小論文も課されるし、講義だけでなくディスカッションもカリキュラムに組み入れられているから、文科省のいう「思考力・判断力・表現力」がみな高い人たちの集まりのはずだ。
結果的に、そういう人たちは、自分の感情のコントロール能力や自己動機づけ能力、対人関係能力が悪いことが明らかになった。確かに東大、ハーバード大を出た政治家が感情のコントロールができず、議員の座を失ったが、この手の能力がないと頭の良さが吹き飛んでしまうのは確かだろう。これらの能力は「感情の知能」と呼ばれ、これをTIME誌がIQ(知能指数)に対抗してEQ(心の知能指数)と呼んだことから、EQという名で呼ばれることが多い。
頭の良さは固定的なものではない
ただ、どの頭の良さの定義を使うにしても、それをいつも維持できるものではないと私は考えている。
日本の場合は、頭の良さが固定的に考えられることが多い。
私は今年で57歳だが、東大の理科Ⅲ類に合格して、東大の医学部を出ているから頭がいいといまだに言われたりする。40年前の受験生時代なら、受験学力(もちろん頭の良さの一種であるが、それだけで頭がいいことにならないのは前述の通りだ)ならそうそう人に負けない自負があったが、今もう一度東大を受けろと言われても受かる自信はない。一応、教育産業に携わっているから、ある程度は入試問題に触れているが、数学力も記憶力もとても受験生時代のレベルが維持されているとは思えない。
ただ、私自身はその頃より頭が良くなった、というか、昔の自分はバカだったと思うことはある。大学生時代はろくに勉強しなかったが、大学を出てからはかなり勉強しているつもりだし、精神科医として心理学を勉強したことや人生経験を積んだこともあって、対人関係スキルはずいぶん上がった気はする(昔が酷かったこともあるが)。
中学受験や高校受験のときは負けていて、二流どころの中学や高校に入っても、3年なり6年の勉強で逆転して、東大や医学部に入ることがある。そのように、どこの大学に入ったとしても、その後にどれだけ勉強したかで5年、10年のうちに逆転することはあるだろう。というか、あって当たり前だ。
例えば、東大教授という肩書きにしても、確かに教授になった時点では、その分野ではかなり高い知的能力を有しているのだろう。しかし、日本の場合、大学教授は定年まで身分が保証されるのと、雑務が増えるので、ろくに勉強しないという人は珍しくない。例えば、本年度のノーベル経済学賞は心理学と経済学を融合させた行動経済学者のリチャード・セイラーが受賞したが、東大の経済学部の教授で、経済の心理的影響に言及するような人を私はほとんど知らない。
それ以上に、頭のいい人間の頭を悪くする落とし穴がいっぱいある。普段なら、優秀な判断ができる人がかっとなったり、不安になったりして、とんでもない判断をすることは珍しいことではない。やはり、瞬間的かもしれないが頭が悪くなっているということだ。
成長できる人間になる
多重知能のどのジャンルで頭が良くなるにせよ、社会的に成功できるような頭の良さを身につけるにせよ、私が重要だと考えるのは、その能力を少しずつでも高めていくような人生でありたいということと、それをふいにするような「人間の頭を悪くする」落とし穴に陥らないことだ。
感情のコントロール能力が必要なのは、かっとなってトラブルを起こすのを回避するだけでなく、人間というのは不安なときには判断を誤ることが珍しくないし、気分が落ち込んでいるときは悲観的な判断をしがちだからだ。自分の判断が普段と違ったものでないかという自己モニター(これは自分の認知パターンを認知するので「メタ認知」と呼ばれる)や、他人から見て普段と違っていないかを聞くモニタリングを行うことが重要だろう。
現代の認知科学では、思考パターンによって感情に振り回されやすいかどうかの傾向が大きな影響を受けるとされる。例えば、「二分割思考」をする人は、味方でなければ敵、正解でなければ間違いというような判断をする。すると、味方と思っていた人がちょっと自分の批判をすると敵になったと考えて、怒り感情や不安感情が高まりやすい。あるいは、自分が正解と思っている解答以外の解答を出されると、それをろくに検討しないで却下ということになりかねない。
また、「かくあるべし思考」の強い人は、自分がかくあるべしの通りに動けなければパニックになったり、ひどく落ち込んだりしやすいし、他人がそうでないときには怒り感情が高まりやすい。
「それもあり」「正解は一つと限らない」と思える柔軟な思考パターンが身につくだけで、心理的な余裕が生まれ、より妥当な判断につながりやすいはずだ。
自分の頭を良くするためにもう一つ、私が大切だと考えるのは、昨日より今日、今日より明日のほうが賢くなりたいという成長欲求だろう。歳をとると「もうこれ以上、勉強はいいだろう」とか、「だんだん脳が衰えてきた」と思うかもしれないが、それでも心がけ次第では賢くなれる。
失敗学を提唱する畑村洋太郎 東大名誉教授に言わせると、失敗は放置しておくと同じ失敗のもとにしかならないが、それを分析反省すれば、二度と同じ失敗はしないし、失敗から学べる。私もこの考え方に同意する。人生経験を重ねることで、失敗を何度もするだろうが、それを二度としなくなるだけで、それだけ成長したと言えるはずだ。
世の中が不確実なものになってくるにつれ、やってみないと答えが出ないことが増えていくだろう。そういった環境においても、試すアイデア(知識)が豊富で、実際に試す実行力があり、仮に失敗してもまた新たなアイデアを試してみようと思える精神力があれば、いつかは成功できる可能性がかなり高くなる。私は、この知識と実行力と精神力のセットを知的体力と呼んでいるが、歳をとっても試し続けることができたら、成功はともかくとして、新たな発見には常に出会えることだろう。
何のために勉強するのか
私が、自分は「昔はバカだった」と思う最大のポイントは、世の中に「正解」があると考えていたことだ。
精神分析の勉強にしても、老年医学の勉強にしても、勉強をしていれば、あるいは経験を積んでいけば、正解にたどりつけると信じていたのだ。
このやり方で治療すれば患者が良くなるという正解を求める発想であれば、仮に何回かうまくいくと、それが正解だと思いかねない。しかし、その次の患者には当てはまらない可能性は決して小さくないのだ。
自然科学の世界だって、それまで信じられていた説がひっくり返されることはざらにある。ノーベル賞の多くはこれまでの説をひっくり返したような研究に与えられるものだ。これが答えだと学んでも、10年後にその答えが正しいとは限らない。脳科学にしても、人間の生きている脳を使って研究できないのだから、あくまでも仮説である。行動経済学にしても、それが経済学の正解とは限らない。もっと複雑な要因を包含できる新たな理論だって生まれることだろう。
ということで、昔は正解を得たいと思って勉強していたが、今はいろいろな可能性やいろいろな考え方を知るために勉強するようになった。そうしておけば、ある説がダメだと分かっても簡単に別の説に乗り換えられるからだ。あるいは、場合に応じて正解を変えることもできる。
歴史の学説にしても、例えば南京大虐殺で何人死んだとか、実際になかったとかいろいろな説があるが、どれが正しいと意地を張るより、どの可能性もあると思うようにしたということだ。
したり顔で知識をひけらかしたり、学説を主張する人より、この手の柔軟性がある人のほうが私には賢く見えるし、これなら歳を重ねても賢くなっていける気がする。
もちろん、この考えも将来変わるかもしれないが、今、私の考える頭の良さやそれを達成するための暫定的な結論を『新・頭のよくなる本』(新講社)という本にまとめておいたので、目を通していただけると幸いである。
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