最後は誰しもフリーターかニート状態に

 運よく定年後、例えば官僚の天下りのような形で、それなりのポストを得られることがあっても、それは有限である。自営でないので、ある年齢がくるとその地位を去らないといけないのだが、今の時代は、その後の人生が長すぎるのである。

 平成29年の厚生労働省がまとめた生命表によると、60歳男性の平均余命は23.72年、70歳男性の平均余命は15.73年、女性の場合は、70歳で20.03年ということである。70歳まで、運よく肩書を得られたとしても、男性で15年以上、女性は約20年、残りの人生が待っている。

 私の経験と人生体験から言わせてもらうと、肩書に頼らない生き方の準備やスタートは早いに越したことはない。20代のフリーターを見て、いつになったら定職につくのだと見下す人は多いが、人間、最終的にフリーターやニートに戻ることを考えると、そういう人生でしぶとく生きるすべを身に着けている人の方が老後の適応がいいことさえ考えられる。小室直樹は雑誌の企画で、なんと自分のことを「ルンペン」と自称して、対談相手だった横山やすしを激怒させたことがあると評伝に書かれていたが、若い時期から肩書きに頼らず影響力をもつという生き方を続けてきたことが晩年の旺盛な執筆活動や講演活動につながったようだ。

 定年後に起業する人のためのコンサルタントと対談したことがあるが、成功するのは、みんな40代で準備した人だそうだ。定年後に始めると前頭葉の老化のためにいいアイディアが浮かびにくいし、定年前から準備をしておくと人脈が作りやすいとのことだった。

 もちろん、現役時代は、少しでも高い社会的な肩書を得ようと苦闘するのを否定する気がないし、みんながそのような形で頑張らないと社会が成り立たないのも事実だろう(人工知能や人間以上の能力を有するロボットの時代になるとそれもわからないが)。ただ、いつかは肩書を外さないといけないという覚悟と準備が必要だと言いたいのだ。

天賦の才は無関係

 ここまでのことを読んで、例えば、小室直樹が会津の歴史に残る秀才だったからとか、小生が医者の免状を持っていたり、たまたま文筆の才能を持っていたから、そんなことが言えるのであって、自分には無理と思われた方もいるかもしれない。

 小室先生はともかくとして、私は文筆の才能などあるとは思っていない。高校時代まで、国語の学力や作文の能力は、灘という学校の中とはいえ(灘校にしても数学は全国でトップレベルだったが、国語は並の上くらいの気がするが)ビリに近い状況だった。