何が本業か分からないような生き方をしてきて久しいが、私が常勤の医者をしていた頃も現在でも、自分としては高齢者専門の精神科医が本業だと任じている。実際、今でも毎週60人くらいの高齢者を診ているし、師匠が良かったこともあって、この世界ではそうそう人に負ける気がしない。
高齢者の差別をなくすには、高齢者が介護サービスなどでお金を使うことが効果的ではないだろうか。(©PaylessImages-123RF)
それが本業であるゆえに、私の実感や統計数字と違う報道などにはつい敏感になってしまう。以前も問題にした高齢者からの免許の取り上げについても、統計上の根拠はないし、相当重い認知症(こういう人はそもそも車が動かせない)でない限り、ブレーキとアクセルを間違えることはないことが分かっているので、強い違和感を感じた。(関連の過去記事はこちら)
知らないうちに進む高齢者差別
若い人と比べて事故が多くないのに免許を取り上げる運動が起こり、実際に法制化されるなど、高齢者への差別が徐々に高まっているように実感している。医療現場について言えば、高齢者の命が粗末にされる傾向にある。寝たきりや認知症の人、特に末期医療について、生かしておくべきでない、死ぬ権利を認めてあげるべきだという議論が横行する。その根拠は、高齢になるまでの世代に、「寝たきりや認知症になっても手厚い医療を受けたいか?」といった類のアンケートで、大半の人が「そうしてほしくない」と答えることなどだろう。あるいは、末期状態になってまで治療を受けるのはかわいそうということもある。
しかしながら、実際の医療の現場にいると、意外に寝たきりの高齢者でも、医療をありがたがって受ける人が多い。以前、何かの番組で北野武さんとご一緒していたときに、休憩時間に「先生、寝たきりになってまで生きていたくないというのは嘘だよな」と話しかけられたのを今でも鮮明に覚えている。「うちのババアは『たけし、寝たきりになったら殺しておくれ』と言っていたのに、いざ寝たきりになると「たけし、医者に包んでいるか?」と言うもんな」と冗談めかして言われたのが当時の私の実感とフィットしたからだ。
実際、がんになって初めてがん患者の気持ちが分かったという外科医がいるように、元気なときには実際に寝たきりや認知症になったときの気持ちは分からないし、人間の気持ちなど立場によって変わるものだ。認知症にいたっては、ある種の子ども帰りからか、かえって死ぬのが怖くなる人のほうが多数派のような気がするくらいだ。
認知症や寝たきりのレベルでなくても、これから高齢者に対する外来医療の定額制なども検討されている。そうなると高齢者は金のかかる医療や高額な薬などの処方が受けられなくなる。年齢だけで受けられる医療の質が変わるというのに、知られていないせいか、知られているのにかは分からないが、問題にする人は少ない。
深刻な高齢者による高齢者差別
実際には、寝たきりや認知症が遠い先の現役世代だけでなく、強い高齢者による弱い高齢者の差別も横行している。
私が医療アドバイザーのようなことをしていた有料老人ホームは、寝たきりや認知症になっても部屋を移されず、入居金を払って入った部屋が終の棲家(ついのすみか)になるというシステムを売り物にしていた。ところが、入居して3年、5年と経つうちに認知症や車いすの人が目立つようになってくると、ああいう姿を食堂で見たくないということで住民総会のようなことを行い、結局は介護棟を作ることになった。要介護状態や認知症になると、そちらに移されることになったのだ。
明日は我が身と実感させられるからなのか、それを醜いと思う心理からなのかは分からないが、今のご時世では考えられない差別だろう。若い世代であれば、知的障害者や身体障害者と同じマンションに住みたくないとか、一緒の食堂で食事をしたくないなどという発言はまず許されない。障害者入店禁止などというレストランやホテルがあれば、マスコミで断罪されるはずだ。
しかしながら、高齢化が進み、要介護や認知症が以前と比べて珍しくなくなっても、この傾向が治まるどころか、むしろ強まっている印象さえ受ける。現実に、有名な高齢脚本家が堂々と「認知症になったら安楽死を望む」というような寄稿を一流の雑誌にして、むしろ高い評価を得ている。
以前も有力政治家が「アルツハイマーの人でも分かる」という発言をして物議を醸したが、アルツハイマー病であれ、認知症であれ、進行性の病だから程度がある。記憶障害があるにせよ軽度であれば、ほとんどの日常生活は可能だ。レーガンやサッチャーが退任後何年か経ってアルツハイマー病であることを告白したが、私の見るところ、在任中から記憶障害くらいは始まっていたはずだ。
つまり軽度の認知症なら大統領や首相でも務まるのである。一方、重度になれば言語の理解はほとんどできなくなる。「アルツハイマーの人でも分かる」ことが不可能になるのだ。認知症に対する正しい理解が進まないために、殺してほしいほど恐れられる病気と思われ、それが差別のベースとなっているのは老年精神科医として非常に残念だ。
何でも高齢者のせいにしていていいのか?
このように高齢者の人権や命が軽んじられるなか、高齢者向けの政策も後手に回っている。例えば保育園の待機児童の問題は、男女共同参画の掛け声のなかで施策は後手に回っているかもしれないが、少なくともマスメディアでは頻繁に問題にされる。実際には待機児童は4万~5万人というオーダーだが(政府が出す統計数字ではもっと少ない)、特別養護老人ホームの入居待ちは50万人と言われている。
在宅生活が困難な人ということで考えると、一人暮らしの人であれば命にかかわるし、家族と同居の場合に例えば嫁や娘が仕事を辞めないといけない介護離職は年間10万人も出ている。安倍首相は一億総活躍社会のなかで介護離職も問題にしたが、その後ほとんど動きはないし、小池都知事も都民ファーストの会もこの問題に関してはないがしろも同然だ。
それ以上に問題なのは、保育園不足も含めて、この手の施策が遅れる際に、いつも財源難が言い訳に使われることだ。かつて東京に美濃部という都知事がいた。老人医療費の無料化などで都の財政を赤字化した張本人のように語り継がれている。しかし、都の財政が就任後初めて赤字化したのは、オイルショックで税収が減った年だった。そして美濃部氏の作った赤字の約20倍の債務を臨海副都心への投資で鈴木元都知事が作っている。福祉より箱モノのほうがはるかにお金がかかるのに、高齢者に金がかかるというと納得してしまう構造がこの国にはある。
今後消費税が20~25%に増えるのも、高齢者が増えるためという説明がなされることが多い。実際には、1000兆円もの借金を国が作ったのは、高齢者がそんなに多くなかった時期からの話である。欧米ではそれだけの消費税を払うことで高齢者の福祉も充実しているし、教育費や医療費も原則無償だ。日本のほうが高齢者が多いのは確かだが、ヨーロッパでも高齢化率は20%前後で日本と大きな差があるわけではない。高齢者が増えたことで説明されると納得してしまえば、これまでの財政の失政を反省することにならないし、財政の無駄遣い一つとっても改善の方向に向かないだろう。
高齢者差別的な心理や高齢者は金がかかるというバイアスは、結局自分のところに返ってきてしまうのだ。
高齢者差別社会をどう解消するか
私の見るところ、この手の高齢者差別や若い人が年寄りを嫌う社会はもっとひどくなるだろう。
若く、お金が要る時期に消費税が25%にもなり、また給料の3~4割が社会保障料として天引きされる。その多くが自分たちに使われるのでなく、高齢者の年金や医療費になるということであれば、高齢者が早く死ねばいいとまでは言わなくても、高齢者の医療はもっと手控えるべきだという声は余計に高まってしまうだろう。
現実に、現役世代の可処分所得がどんどん減っていくのに、高齢者の側は60~65歳で退職金が入ってくる。また親が長生きする時代だと、子供が親の財産を継ぐときには60歳を過ぎているということも当たり前になってきた。要するに、現役世代が高齢者のせいで貧乏なのに、高齢者はリッチという構図ができてしまう。実際、個人金融資産も6割くらいを高齢者が持っている。この歪(いびつ)な構造が続けば、さらに高齢者は嫌われるだろう。
私の見るところ、この問題を解決するためには高齢者がお金を使うことしかないだろう。確かに高齢者の間では、若い人以上に収入も資産も格差は大きいが、個人金融資産の多さなどを考えるとまだまだお金を使える余地は大きい。
資本主義の世の中ではお金を使うと大切にされる。介護保険以上の介護サービスを高齢者が自腹を切って買うのが当たり前になったら、それで雇用も生まれるし、ビジネスチャンスも増える。高齢者が今まで以上に、外食や旅行に金を使うようになれば、高齢者を大事な客として扱うだろう。高齢者向けの自動運転の自動車や高齢者向けのIT商品が売れれば、企業は血道を上げて生産するだろう。
さらに言うと、そういう業者がスポンサーになることで高齢者向けの番組なども増え、マスコミも高齢者を敵視しづらくなる。現実には、高齢者世帯には視聴率調査の機械が取り付けられないなど、高齢者は視聴率や客としてカウントされない憂き目に遭っているから、高齢者向けの番組がなかなか増えず、若い人がテレビ離れをしているのに、高齢者からみてつまらない若者向け番組などで深夜帯(元ホワイトカラーの高齢者が増えているから昔よりは夜更かし高齢者は多い)が占められている。実際には『やすらぎの郷』のような高齢者向け番組が成功しているのに、後に続く番組も少ない。
ただ、高齢者は老後(もう老人になっているから将来の福祉打ち切りなのだろう)が不安で、お金をなかなか使わない。私は思い切って相続税の大幅増税(可能なら100%)をすべきと考えている。これによって、若い世代の税負担や社会保障料負担が減れば、嫌老社会は少しでもましになるだろう。それ以上に、残すと税金で持っていかれるなら今より金を使うだろうし、相続税を増税する代わりに老後の年金や福祉を約束するという社会契約があればなおのことだ。
こんなことが可能かどうかは分からない。世界のトレンドとしては相続税減税だという声もある。ただ、世界一の高齢化率なのだから試す価値はあるだろう。この手の高齢者差別の傾向分析と対策の試案を『「高齢者差別」この愚かな社会』(詩想社新書)にまとめてみた。私の長年高齢者を診てきた経験に基づくものなので、興味がある人はご一読願いたい。
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