家族は苦労するも本人はニコニコ

 実際、認知症になったら安楽死させてほしいというような声とは裏腹に、私のもとを訪れる認知症患者は、家族からは苦労話は聞かされるものの、本人はニコニコして幸せそうなことが多い。

 長谷川氏は、認知症を発症したことについて、「年を取ったんだから仕方ない」と悠然と答えているそうだ。長年、老年精神医学に取り組んできたことで、認知症についてよく理解していることが、これからも自分が役に立つことをやろうという豊かな生き方につながっているように思えてならない。

 というのも、私自身、老年精神医学に長年従事することで、人生観がかなり変わった口であるし、この職を与えられたことを、大げさなようだが、神様に感謝しているくらいだからだ。

 前述のように認知症になることをさほど恐れなくなっているし、年を取ったら人の世話になることも、あるいは施設に入ることも、基本的には仕方ないことと開き直っている。これまで払った税金や保険料を多少は返してもらう権利があると考えている。

 それ以上に人生観が変わった。

 多少、出世したところで、その地位がいつまでも続くものでないし、その地位を人に嫌われる形で得た場合に、年をとってから寂しい人生を送ることがわかった。

 例えば、上に媚びて出世したというような場合に、晩年には上の人は先に死んでしまうし、そういう人は下の人が見舞いに来ない。

 ところが、若い人をかわいがってきた人は、年をとって病気になった際に、見舞いが絶えないなどということは珍しくない。

 財産を残せば安心かというと、たとえば、認知症になった際に、かえって息子たちの財産争いがひどくなったり、子どもに知らない間に財産の名義を書き換えらたれたりするなどというケースも何件も見ている。実際、それが無効だとして裁判を起こすために精神鑑定書を書いたことも何回かある。

 出世や名声にあくせくしなくなったし、お金は使えるうちに使ったほうがいいと思って、ワインを買い込み、自己資金を投じて映画を撮ったりするのはその影響かもしれない。

 恐らく、こういうことは私のような職業に就いていないと知りえないことが多いのだろう。この経験から私が知り、感じたことをまとめた『自分が高齢になるということ』(新講社)という本を出した。これからのサバイバルのヒントにしてもらえると幸いである。