行動を伴う忖度を期待する日本人の「甘え」

 ただ、今回問題になっているのは、役人が安倍首相の気持ちを推測しただけでなく、それを行動に移したことだろう。つまり、忖度が通常の日本語だと「気を利かす(こと)」という意味で使われたことになる。

 安倍氏なり、官邸サイドが実際に圧力をかけたのかは定かでないが、相手が気を利かせることを期待する文化が日本人にはある。実際、豊臣秀吉が懐で信長の草履を温めたエピソードのように、日本では「気が利く」人間が出世するという例は枚挙にいとまがない。

 日本の精神分析医の著による、最初のミリオンセラー『甘えの構造』は、そのような日本人の心理を論じた本だ。一般書としても広く読まれたが、当初は文化人類学者に人気のあった本である。

 例えば暑いなか、訪ねてきた人の気持ちを忖度するだけでなく、実際に冷たい水を言われなくても差し上げる。このように相手の心理ニーズをおもんぱかり、さらに気の利いた行動をするのが日本人の特性なのだと本書では論じている。

 本書の中で土居氏は、「甘え」を定義していない。日常語として日本人ならニュアンスで分かると考えたためだ。ただ、海外向けの論文では、土居氏は甘えについて、「他の人の好意を当てにしたり、それに依存することのできる個人の能力および特権」と定義している。

 甘えがなぜ能力や特権なのかというと、宴会を例にとると分かりやすいかもしれない。

 宴会の席で自分のビールが空になったとしよう。その際に、甘える「能力」がある人なら、誰かが注いでくれるだろうと気長に待つことができる。ところが、それがないと「どうせ、俺なんか相手にされていない」と思って、手酌を始めてしまう。それが場の雰囲気を壊してしまうわけだ。ただ、この場合、手酌をした人の大人気ない態度だけが責められるのではなく、ビールが空なのに気づかない周りの人の「気の利かなさ」も責められる。要するに日本人には甘える「特権」があるのだ。