名誉というインセンティブシステムを学問にも

 現代精神分析の世界では、自己愛を満たすことが人間の最大の動機づけとされる。

 金を持っていても、一流企業の扱いを受けていないと低く見られたり、官僚などより下に見られていた時代には、金だけでは自己愛が満たされなかったし、子供たちも、あるいは東大生たちも、金持ちになるより官僚などを目指した。

 人間は、お金以上に、名誉や尊敬を集めたいという願望がある。アメリカ人が税金以上の寄付をするのも、寄付税制以上に、そのほうが尊敬されるし、稼いでいて寄付をしないとバカにされるという側面も否定できないだろう。

 そういう点ではオリンピックの受賞者と比べて、日本では現役の研究者や知的に優秀な人への賞賛は恐ろしく少ない。例えば、日本人が毎年のように数学オリンピックで金メダルを取っているが、ワイドショーなどで大きく取り上げられることはない。

 ノーベル賞と違って、40歳以下の現役の数学者に贈られるフィールズ賞にしても、3人の受賞者のうち、比較的世に知られているのは広中平祐氏くらいだ。これにしても、1990年以来受賞者が出ていないことを憂えるべきなのだが、そういう声は上がらない。

 勉強ができる人間、学問レベルが高い人間が賞賛されるどころか、『勉強できる子 卑屈化社会』などという本がベストセラーになり、学者になるよりお金を儲けた人のほうが社会で尊敬される。これでは優秀な人間が途中でつぶれるか、拝金に走るのはもっともなことだ。

 2020年の入試改革では、一般学力より「生きる力」を評価する入試にせよと、文科省が予算をちらつかせて各国立大学に圧力をかけている。この考え方では勉強だけではだめで、体力も必要だそうだ。一方で、スポーツの勝者に、勉強もできなくてはダメと言われることは減ってきているのではないか。

 スポーツで先進諸外国に勝っている時でも、この方針は愚挙だと思う。いろいろな学問的な指標の順位が落ちている時に、勉強だけではだめとか、勉強のできる人は賞賛しないということを続けていれば、オリンピックのメダルの数だけは多いが、世界でアメリカと争う科学技術のレベルを誇っていたのに、いつのまにか太刀打ちできなくなり、国まで潰れてしまったソ連のようにならないか。これが妄想的な不安でないことを祈りたい。