政治利用されやすいオリンピック

 このような心理を、世界中の政治家は知っているようで、これまでも多くの政治家が国威発揚や愛国心の養成のためオリンピックを利用してきた。ヒトラーがベルリンオリンピックを利用したのは有名な話だが、冷戦時代のソ連や東ドイツも血眼になって、メダルを増やそうとした。

 これはうがった見方かもしれないが、これらの国々は、スポーツが強いことで国民を歓喜させたり、あるいは、自分たちは強い国だという錯覚を与えたりしようとしたのではないだろうか?

 経済競争ではとても勝てず、軍事力でも勝てないということになると(もちろん国民にはそれを認めないのだろうが)、スポーツの強さで国の体面を保ったり、自分たちがすごい国なのだと思わせる意図があったように思えてならないのだ。

 実際、一般的な国力で、ソ連がアメリカに、東ドイツが西ドイツに差を広げられるのと逆相関するように、ソ連や東ドイツはオリンピックでの金メダルを増やしていった。

 要するに、経済政策や外交政策の失政を、スポーツを強くすることで取り繕おうとしたのではないかというのが私の見方だ。これであれば、特定の人間をスカウトし、小さいころからものすごいトレーニングをさせていれば、そんなにお金をかけなくてもできる。

 しかし、国民は一時的に熱狂したり、自分たちは強い国だと満足しても、肝心の一般の教育水準や、工場などの生産性が上がらないことには、国が立ち行かなくなるし、国民生活も悲惨なものになる。その後のソ連や東ドイツの消滅をみると、スポーツで浮かれているだけで、その後、国民も頑張っていくことにつなげないとむしろ逆効果にすらなることが示された重要な一件といえる。

 政治利用というと、モスクワ五輪のボイコットなど、オリンピックを使って相手国を懲罰したり、恥をかかせたこともある。また、今回のオリンピックでも、北朝鮮が自国への圧力を緩めてもらおうとしたり、自国のイメージを高めたりするのに使ったことも問題になっている。

 日本の場合は、選手はおそらく純粋(その分だけ国が積極的に強化資金を出さないという問題もあるが)なのだろうが、スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない。