久しぶりに映画を撮ることになり、能登に来ている。15歳で集団レイプを受けた女性の20年後の手記である『私は絶対許せない』という本を映画化するためだ。

 かなりハードなシーンが多いので、主演女優は新人に近い人だが、昔からファンだった佐野史郎さんや美保純さん、東てる美さんに出てもらうことができた。また、黒澤明監督のお気に入りと言われた、名優の隆大介さんに重要な役をやってもらえることになった。

(写真:©Jakub Gojda-123RF)

 それに勝るとも劣らずスタッフが優秀で、寺島しのぶがベルリンで主演女優賞をとった『キャタピラー』の脚本家の黒沢久子さん、『ラヂオの時間』で日本アカデミーの優秀撮影賞を受賞しているカメラマンの高間賢治さん、北野武作品のほとんどを手掛けている太田義則さんが編集、そして世界的音楽家の三枝成彰さんが音楽を作ってくれるということで、現代の日本映画ではベストの布陣で臨むことができた。

何の才能がなくても、映画なら思いをスタッフが具現化してくれる

 自慢するわけではないが、47歳で初めて撮った『受験のシンデレラ』ではモナコ国際映画祭でグランプリをいただき、2本目の『「わたし」の人生』では同じ映画祭で、人道的作品監督賞を含めて4冠をいただいた。今回も、なんとか海外の映画祭で受賞できないかということで気合を入れている。

 ただ、私が運よく受賞できたのは映画監督の才能があるからとは思っていない。実は、私が映画監督を志したのは、高校2年生のときだった。灘中学に5番で入ったものの、勉強が嫌になって成績は低迷していたし、その間に小説家を志すが挫折、留学の試験も落ち、また音楽も体育も図工もからきしできない。学芸会の頃から芝居は大の苦手という何の才能もない子供だったし、それを重々自覚しているのが余計つらかった。

 そんな私が、高校2年生の時に、藤田敏八という東京大学卒の監督が撮った『赤い鳥逃げた?』という映画を見て、自分でも撮りたくなった。この映画は、「29歳でもすることがなけりゃジジイだろ」といった、夢を失ったやさぐれ男の心情を見事に描いたもので、まさにすることを見失い「17歳のジジイ」になっていた私の心情にものの見事にフィットするものだった。

 それ以上に私が着目したのは、スタッフだ。脚本はジェームス三木さん、撮影は日本アート・シアター・ギルド(ATG)の名作を撮り続けた鈴木達夫さん、音楽は後に世界的音楽家となる樋口康夫さんという最強の布陣だった。そこに原田芳雄さんと桃井かおりさんがお芝居を重ねるのだから、素晴らしい作品になるのは当然予期できる。

 そのときに、何の才能もない私でも、映画なら自分の思いさえあれば、それをスタッフや役者さんが具現化してくれるのではないかと思ったのだ。そう思った矢先に日活という映画会社が助監督の採用をやめたので、自腹を切って映画を撮るしかないと思って、実入りがいい医学部を志望するきっかけになった。しかし、結局は学生時代にチャレンジした自主映画も段取りが悪かったため、半年で半分も撮ることができず、結果的に頓挫した。