要介護状態になる前に夫婦間のコンセンサスを

 さて、この原稿を書いている際に、小室哲哉さんが、妻の介護中に看護士と不倫をしたという疑惑が報じられ、引退声明を発表するに至った。

 私がとやかく言える立場にないが、私の高齢者専門の精神科医の経験から言えることは、介護を続けるうえで、心の支えになってくれる人が必要だということだ。そういう人を持たないで、自分で抱え込んでいたり、自分で思い詰めていくうちに、介護うつになったり、最悪、自殺や心中、介護殺人にまでつながってしまう。共倒れを避けるためにも、人に、特に精神的に頼ることには大きな意味がある。

 厄介なのは、前述のような理由で、きょうだいですらあてにできないことは珍しくないことだ。

 介護保険が始まって今年で18年になるが、介護保険の始まる10年以上前から高齢者の臨床に携わっていた立場から言わせてもらうと、この間にケアマネジャーさんも訪問看護師さんもあるいはヘルパーさんもずいぶん経験を積まれて、こちらから見ても教えを乞いたいくらいの優秀な人、介護の実際が分かっている人がかなりの数まで増えてきている。

 実際、介護者の多くは、この手の介護関係者に相談したり、心理的なサポートを受けて、つらい介護を乗り切っている。

 ただ、この手の頼りになるスタッフのほとんどが女性であるという問題がある。ケアマネジャー、訪問看護師、ヘルパーなどは時代が変わっても、女性が圧倒的に多いという事実はそう変わらない。高齢の介護者の場合、恋愛関係になるということは、私の知る限りではそう多くないが、心が通じ合う関係になるケースは少なくない。

 介護を受ける側が認知症の場合、夫が不貞をしているという嫉妬妄想に発展することもある。

 子どもの妊娠中に不倫をするというのは言語道断だが、共同作業の成果である子作りと違って、介護を受けるようになるのは、通常は配偶者の責任ではない。そして多くの場合は、その後の性生活はなくなってしまう(日本は元々セックスレスが多いからそう問題にならないのかもしれないが)。

 そういう場合に、別のパートナーを持つことがそこまで非難されるべきなのだろうか?

 ポーリン・ボスという心理学者は、配偶者が認知症になった場合、体は失われていないが、ある意味、別人になってしまうということで失われる、つまり、「あいまいな喪失」体験であると論じている(拙訳を参照されたい)

 もちろん、こういうことこそ夫婦間でコンセンサスを得る必要がある。

 認知症や要介護になる前に、その後も介護は要らないからホームに入れてくれとか、介護はお願いするが、別のパートナーは作ってくれてもいいとか、そういうコンセンサスを作る必要をこの事件では痛感させられた(小室さんがそれに当てはまるのかは分からないが)。

 夫婦間の合意がなければもちろん「不倫」だが、合意があった場合は、外からとやかく言われる問題でないことだけは確かだろう。

 長寿が当たり前になった以上、備えられる限りのことは備えるに越したことがないというのが、長年の高齢者臨床の体験からきた老婆心である。