介護や認知症に対する偏見をとる

 今回は、親のためというより、自分の将来のために介護の備えをしようというテーマだが、そのために必要なものに、認知症や介護の偏見を除去することがある。

 多くの人が「ボケだけはなりたくない」「ボケて死にたくない」と言うが、私はそれほど認知症を悲惨な病気と考えていない。

 一つには、認知症というと徘徊したり、便をこねたり、元の人格が変わって異常な言動を行う人間になるというイメージがあるが、基本的には一種の脳の老化現象だということがある。実際、私が「浴風会」という高齢者専門の総合病院に勤めていた際に、毎年100人ほどの死後の剖検の検討会で見た限り、85歳を過ぎて脳にアルツハイマー型の変化が全くない人は誰もいない。要は程度問題ということだ。

 基本的には老化現象だとすると、原則的にはおとなしくなる病気なのだ。おそらくは異常行動型の認知症は全体の1割くらいで、逆に引きこもり型のほうが9割くらいのようだ。実際、日本中に400万人も認知症の人がいるとされるのだから、みんなが徘徊するのなら街中は徘徊認知症患者だらけになるが、そう見かけるものではない。要するに人が考えるほどカッコの悪い病気ではないのだ。

 そのほか、嫌なことが忘れられるとか、多幸的になる人も多く、周りはともかく、主観的には幸せになる人は珍しくない。

 むしろ、歳をとってうつ病になるほうが、厭世的になったり、自分が生きているのが邪魔という罪悪感に苦しめられたり、気分が鬱々として主観的には不幸と言える。歳をとったら、元気がなくなったり、食欲が衰えるのが当たり前と思われて、未治療のために見過ごされていることが多い。

 私も、昭和一桁世代の元ホワイトカラーや大卒、元管理職以上など、もともと知的レベルの高かった認知症患者を診ることが多かったが、彼らの病状の進行が意外に速い。

 それは頭や体を使わないからだ。仕事以外に趣味がないから、一日をぼーっと過ごすことになりがちだ。会社をやめたら麻雀仲間も離れてしまう。ところが、老化現象である以上、頭であれ、体であれ、使わないと老化の進行が速まってしまう。

 そういった場合はデイサービスに行ってくれるといいのだが、こういう人はプライドが高く(認知症はかなり進むまでこの手のプライドは保たれる)参加しようとしない。実際には介護予防のために知的レベルが高い人用のプログラムが用意されていたり、麻雀をやるようなデイサービスも少なくないのだが、知識がないから偏見が強いのだ。

 親の介護の際などに、いろいろと見聞して、この手の偏見は拭い去っておきたい。

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