昨年を振り返ると、しばらくはないくらい、政治がテレビのワイドショーのネタになった年だった気がする。日本では、舛添要一・前東京都知事が政治資金関連のスキャンダルで失脚したが、一つひとつのスキャンダルがワイドショーに格好のネタを提供した形になった。その後は、当選した小池百合子新知事の勇ましく旧来の都政に斬りこむ姿勢と、それによって発覚した豊洲市場や東京オリンピックの問題点が、やはりワイドショーで連日のように報じられる。
ワイドショーの取り上げ方は“善悪二元論”
アメリカでは、事前の予想を覆して、ドナルド・トランプ氏が大統領選挙を制した。その発言の一つひとつが、やはりワイドショーにうってつけの内容であったようで、かつてないほどアメリカ政治が日本の一般市民に身近になった印象だ。さらにお隣の韓国でも、朴槿恵大統領が親友とされる女性に便宜を図っていたことや、その女性(あるいは大統領本人)と韓国財閥との癒着が、やはりワイドショーにはこれとないネタとなったようで、連日のように報道される。
政治が身近になったことや、一般市民が悪いものには悪い、許せないという感覚を持てることは、もちろん市民社会では望ましいことだろう。ただ、私が気になったのは、この手のワイドショー型の政治の取り上げ方が、どうしても善悪二元論に偏ってしまうことだ。
例えば、舛添氏は完全な悪人のように取り上げられ、目下のところ小池氏は正義の味方になっている。朴槿恵氏にしても、極悪人のイメージとなっている。トランプ氏については、多少の賛否両論があるようだが、やはりいい人(あるいは改革者)なのか、悪い人(とんでもない人)なのかという論じられ方が目立つ気がする。
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