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生きている世界はしょせん主観的

 勝ち負けで考えなくても、自分の方が客観的に正しいと考える人もいる。

 数字のデータを持ち出して、これが客観的だという人がいるが、多くの場合、よりそっちの可能性や確率が高いということに過ぎない。

 もう一つは見る角度によって、答えが違うということはある。

 失業率や株価の上昇を見れば、アベノミクスが「客観的に」成功しているとことになるのだろう。

 ほかの角度で見る人であれば、ドル建てのGDPが民主党政権時代から2割も下がっていることを問題にするかもしれないし、相対貧困率の高さを問題にするかもしれない。

 昔、デノミといって100円を新1円にしようという議論があった。300万円の車が3万新円で買えるので安くなったという心理効果で景気がよくなると言われたものだ。

 しかし、ものを買いたい人にとってはそうであっても、貯金を気にする人なら1000万円の貯金が10万新円になるので、もっと貯金をしなくてはと思うかもしれない。

 そもそも論として、人間の認知構造は一人ひとり違うし、それはこれまでの生育環境によっても違う。未開の地の人にペットボトルを見せてもなんのことかわからないかもしれない。

 行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した。金があるほど幸せではないのだ。

 実際、私たち精神科医というのは、患者を客観的に金持ちにしたり、家族に恵まれたりはできないが、ものの見方を変えることで、主観的には幸せになってもらうということを目標にすることが多い。

 この1、2年医師として悩むのは、たとえば認知症で、症状が進行していることに気づかず幸せそうにニコニコしているなら、本当に治療(現代の医学では進行してしまった症状を正常に戻すことはできない)の必要があるのかということだ。

 もっと言えば、人に迷惑をかけないのなら、統合失調症の患者さんが自分は神様と信じるような妄想をもっていて、幸せそうにしている時に、薬を使って妄想をとって現実世界に引きずり戻すのが本当にいいことなのかなども悩むようになった。

 しょせん、人間の幸せなど主観的なものだ。

 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ。

 どこまで役に立つかはわからないが、このような意識改革が私のサバイバルのための思考法である。