根拠があれば「変節」も悪くない

 変わらないものを信じたい気持ちは私も分からないわけではない。

 私が自費診療のアンチエイジングのクリニック(和田秀樹こころと体のクリニック)を立ち上げた際に、スーパーバイザー(指導医)としてクロード・ショーシャ先生を選んだのは、ダイアナ妃を始めとする世界中のセレブの主治医だったからではない。30年以上アンチエイジング医療を行って通い続けている人が大勢いることで、長期的に効果を出していると信頼したからだ。数字の根拠はないが、経験的な根拠があるので、コロコロ変わるアンチエイジングの理論の中で信じられると思ったからだ。

 しかし、そのショーシャ先生も新しい発見があるとどんどん取り入れる貪欲な先生であることを長年指導を受ける中で知った。医学に限らず、科学の理論というものは新たな発見によって塗り替えられるものだ。ノーベル賞の多くは、旧来の説を覆したものに与えられている。

 これまでの説が間違いかもしれないと思ったときに、改めたり、研究の対象にするのが科学者の姿勢だろう。旧来の説に対する批判や異論を一笑に付していたら科学と言えない。エビデンスを求めるというのも、これまでの治療指針が本当に正しいかを検証し、間違っていたら変えるためのものだ。ずっと変わらない治療方針というのでは、なんらかの圧力や忖度さえ疑ってしまう。

 もちろん変えなくていいものは変えなくていい。ショーシャ先生の治療にしても、前回のコラムで問題にした真の保守にしても、残すべきものは守り、変えなければいけないものを変えるのが基本スタンスだ。

 ただ、最初に問題にした文化人の話を聞いていても、医学者を見ても感じるのは、日本人には変節がいけないという思い込みが強い傾向があることだ。

 私もかつては「受験は要領」とか言って、手抜き型の(私としては省力型であって結果にはこだわったのだが)勉強を勧めていたため、ゆとり教育の反対運動をしていた時には随分変節扱いを受けた。しかし、子どもがみんな長時間勉強をしている時代と、少子化で入試が簡単になって勉強しなくなった時代とでは、言うことが変わるのは当たり前の話だ。

 定説を過度に信じないことと変節と言われるのを恐れず、時代に合わせて考えを変えられることが、恐らくAI(人工知能)の導入で大きなパラダイムシフトが起こる時代での最大のサバイバル術であると私は信じる。