薬品で不足する日本人向けのエビデンス

 EBM(evidence-based medicine、根拠に基づく治療)という考え方が海外では当たり前のものとなり、日本でも徐々に普及が始まっている。

 理論的に正しいことや動物実験では有効と思われることであっても、本当に5年後、10年後にその治療が有効である、つまり死亡率や心筋梗塞などの発症率を下げるという根拠を出さないときちんとした治療として認めないという考え方だ。アメリカの場合、保険会社が医療費を支払うのが通常なので、「根拠」がない治療にはお金を出さないというのが基本的な方針となっている。

 例えば、血圧を下げるとか、コレステロール値を下げるというのは、体の中で化学反応を起こせば、目標値を達成するのはそれほど難しくない。しかし、目標値に達したところで、5年後、10年後の心筋梗塞や死亡率が下がらないのなら意味がないというのがこのEBMの考え方だ。

 欧米、特にアメリカの場合、生命保険の会社に金を払ってもらうために、製薬会社が血眼になってエビデンスを得るための研究を行ってきた。ところが日本の場合、エビデンスを求める研究に対するスポンサーがほとんどいないので、この手の大規模調査がなされない。多くの学者が得意がってエビデンスがある治療と紹介しているのは、海外のデータを基にしていることがほとんどというのが実情た。

 がんの標準治療のように、どの術式が5年後の生存率が一番高いかとか、温存療法と全摘療法のどちらがいいかというような比較調査であれば、海外のデータでも比較的あてになるかもしれない。

 しかし、薬やコレステロール値などの長期フォローのデータについては、海外のものがあてになるかは分からない。欧米のほとんどの国は死因のトップが心筋梗塞だが、日本はがんで死ぬ人が心筋梗塞の2倍いる国で、先進国の中で心筋梗塞が最も少ない国だからだ。

 数年前にディオバン事件というのがあった。海外で良いエビデンスのあるディオバンという血圧の薬が日本でも脳梗塞や心筋梗塞の発症率を下げるはずだというので、大規模調査を行った。しかし、それを示す結果が出なかったために、多くの医師たちがデータ改ざんを行ったという事件である。

 この事件は医師のモラルばかりが問題にされたが、それより重要なのは、海外のエビデンスが日本人には当てはまらないことが明らかになり、血圧の薬を長期投与していたら脳梗塞や心筋梗塞を予防できるかどうかに疑問が生じたことだろう。少なくとも海外では鳴り物入りの薬が、日本では旧来型の薬を飲んでいた人と薬を飲まない人も合わせた群と比べて、長期的に有効であるというデータが出なかったのだから。

 そういう研究をやってもらわないと、信頼して薬を飲めないのだが、同じようにやぶへびになることを恐れて医者も日本の製薬会社(ディオバンを出していたのは外資系の巨大製薬会社である)も、日本人向けのエビデンスを求める研究をしない。だから治療のガイドラインが変わりようがない。

 要するに、新しく研究して治療のガイドラインが変わっていくのが通常なのに、日本の医療が変わらないのは信用する「根拠」がないからである。私が言っていることが正しいのか、権威の人たちが言っていることが正しいのか、誰も知らないのが現状なのだ(私のほうが正しいと言いたいのではなく、権威の人たちのいうことに「根拠」がないと言いたいのだ)。

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