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60代以上は暴力を容認する傾向

 しかし、今年起こった問題を冷静に分析すると、指導者の在り方や組織運営という面においては、共通する課題が見えてくる気がする。

 それは「いったいどうなってしまったのか」という変化が生む問題ではなく、それはむしろ「どうもなっていない」という変化を受け入れないことから生じる「時代とのズレ」や「旧態依然とした価値観」が引き起こしている問題と言えるだろう。

 端的に言えば、渦中の主役たちは概ね60歳代、70歳代の大御所である。
 レスリングの代表監督しかり、アメリカンフットボールの監督しかり、ボクシングの会長しかり、体操界の重鎮しかり、功成り名を遂げた方々ばかりである。そしてその名声を背景に組織の要職に君臨してきた。それ自体は、決して悪いことではない。しかし、周囲の関係者や現場の選手たちとは、明らかに意識の差やコミュニケーションにおける疎通を欠いていたと言わざるを得ない。そうでなければ、いずれの指導者も相手(選手サイド)から訴えられることはなかっただろう。

 問題の根底にあるのは、柔軟性の欠如や他者の意見に耳を貸さない権威主義のようなものだろう。その頑なな姿勢の根幹にあるのは、経験と実績からくる過度な自信と言えるかもしれない。もちろんそこには年齢からくる要素も大きく影響していることだろう。これは60歳になる当方だから、生理的な実感を持って言うことができる。何事も過去の自分(経験や思考)をベースに考えることが多くなる。しかし、求められることは、今の時代にフィットすることだ。さまざまなことに対する方法論は、時代と共に現代用にアップデートされている。その感覚がないと、私を含めた60代以上の人たちは、乱暴に過去の手法を振り回すことになってしまう。

 レスリングやアメリカンフットボール、ボクシングや体操の一件で、問題とされた当事者の言動にどことなく懐かしさを覚えてしまうのは、私たちの世代に同種の価値観と経験があるからなのだろう。しかし、その感覚をそのまま表現すると、今の時代はほとんどが「アウト」になる。

 その最たるものは、暴力に対する感覚と距離感だろう。
 私たち以上の世代は、基本的に暴力を内包している。あるいは許容している。
 仕方がない。
 育ってきた環境に普通にそれがあったからだ。
 しかし今は、どんな理由であれ、それを行使すると一発で退場になる。
 それが最新のルールだ。