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受け継がれる愚行

 それは、暴力が行使される力学が必ず強い立場の者が弱い立場の者へ働くということだ。

 監督やコーチが選手に暴力をふるう。先輩が後輩を殴る。

 この逆の構図は滅多にない。選手が監督やコーチに暴力をふるう。後輩が先輩を殴る。もしそれが起こった時には、問答無用の処罰が待っている。

 つまり立場の優位(あるいはそう思っていること)が、暴力を生む根幹にある理由なのだろう。加えて言えば、報復の可能性がないことを前提に暴力は行われていると言えるかもしれない。

 自分の経験から言っても、大学時代に先輩に殴られても、本気で喧嘩をすることになれば勝てると思っていた。少なくとも何らかのダメージを与える。でも、それをしなかったのは自分自身が相手の後輩だからである。

 そこに働いた抑止力や自制の念が何だったのかと振り返れば、そんなこと(暴力沙汰)で自分の人生を台無しにしたくないという思いだった気がする。殴られて終わるなら、その方が良い。つまりほとんどの暴力とは、報復のない上下関係に付け込んで行われる行為なのだ。

 もうひとつ経験として思うことは、暴力行為は伝染し、それをされた者はそれが有効な手段だと思って、次の世代が同じように繰り返してしまうことだ。

 そして恐ろしいことに、また愚かなことに、かつての運動部は暴力的であることを部風として、これをある種の伝統として守ってきたのだ。それが緊張感や厳しさにつながるものだとして……。

 まったくバカげたことである。

 ただ、気を付けなければいけないのは、誰でもその集団の中に身を置くとこの暴力的手法が、うつってしまうことだ。やられたから、やってしまう。貴ノ岩にも、少なからず働いていたことだろう(同情しすぎか?)。

 自分だけが「よいこ」になるつもりはないが、私自身は蛮行、愚行がまかり通っていた時代に、やられたことはあっても、自分自身が人を殴ったことは一度もない。そうしたことをすることも見ることも極端に嫌っていた。