
「貴ノ岩、お前もか」
付け人を殴る事件が発覚した直後、スポーツ紙の見出しやテレビの情報番組のタイトルにこんなフレーズが飛び交った。
オリジナルは、ご存知シェイクスピアの「ブルータス、お前もか」である。カエサル(シーザー)の暗殺にブルータスも加わっていたことを知ったカエサルが死の間際に口にしたとされる一節。
本当は、その思いを口にすることができず仕草で表したとか、「ブルータス」の部分には「息子」という言葉が使われたという説もあるようだが、ここでの問題は、その真偽ではない。これを使う時の用法だ。「ブルータス、お前もか」には、身近な者に裏切られた驚きと悔しさがよく表れている。
だから貴ノ岩にも、誰もが怒りと落胆を込めて思ってしまうのだ。「貴ノ岩、お前もか」と。
横綱・日馬富士(当時)に暴力をふるわれたのは誰だったのか?
そのおかげでケガをして休場したのは、誰だったのか?
暴力の責任を取って、引退した横綱は誰の頭を殴ったのか?
ケガの病状と今後のことを心配してくれた親方は、誰の親方だったのか?
一連の騒動の末に、角界を引退した親方は、誰のために戦ったのか?
そして何より、自分のお世話をしてくれる付け人は誰の付け人だったのか?
すべては、貴ノ岩をめぐる一件。暴力ではじまる問題の顛末である。
横綱が引退し、親方が部屋をたたみ角界を去り、そして自分自身も新しい部屋に移籍することになった。残念なのは、この教訓がまったく生かされなかったことだ。挙句の果てに、貴ノ岩自身も引退に追い込まれてしまった。
相撲界は、何も学ばないところである。
日馬富士(当時)、貴乃花親方(当時)、貴ノ岩(当時)
この3人の退場は、今後何かに生かされることになるのだろうか?
相撲界では、すべての部屋の親方と全力士を対象に暴力の根絶を訴える取り組みと教育が急遽始まった。やるべきことだろう。大事な姿勢であり、継続すべき取り組みだ。そこに疑う余地はない。
しかし、そうしたことを考える一方で、私はある種の無力感を同時に感じている。暴力がスポーツ界からなくなることを切に願いつつも、少年野球から20年の選手生活と30年間の取材歴の中で、これが一向になくならない現実を見てきたからだ。
どうしてスポーツ界で暴力が横行するかの理由を簡単に説明することはできないが、経験からはっきり言えることがひとつある。
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