母校の催事を紹介するに当たり気を付けるべきは、熱心になり過ぎないことだ。あまりに肩入れが過ぎると、本来の魅力と価値を伝え損なうことになってしまう。それゆえ今回はいつにも増して、客観的な視点を意識して冷静に書かなければならない。

明治時代にいち早く西洋スポーツの振興に励んだ福沢諭吉は、当時からスポーツ界の行き過ぎたありさまを嘆き、警鐘を鳴らしていた。(桜堂/アフロ)

 11月28日から12月13日まで慶應義塾大学三田キャンパス東館8階ホール特設会場で開催されている「近代日本と慶應スポーツ」を見に行ってきた。慶應義塾の体育会は、本年創立125周年を迎え、その歩みを振り返る意味で歴史的な資料が展示公開されている。入場は無料なので興味のある方はぜひ足を運んでいただきたい。

 明治以降の近代日本のスポーツを考える時、福沢諭吉と慶應義塾の存在を見過ごすことはできないだろう。それまでの武士道における武術を中心に心身の鍛錬に励んできた日本の若者は、慶應義塾をはじめとする明治時代の学校において西洋のスポーツと出会うことになる。

 明治25年(1892年)、慶應義塾体育会は剣術・柔術・野球・端艇(たんてい)・ 弓術・操練・徒歩の7部をもって始まり、明治30年代には蹴球部(ラグビー)や庭球部(テニス)、水泳部や器械体操部などが加わり、大正から昭和初期にかけてほとんどの運動部が体育会のメンバーとなって、日本のスポーツ界をリードしていく。

 こうした慶應義塾におけるスポーツへの取り組みは、日本スポーツ発展の大きな源流のひとつであり、時代と競技を代表する人材を数多く輩出してきた。