去年だったら受賞できなかった
災難だったのは、同じア・リーグで大谷と新人王争いをしたニューヨーク・ヤンキースのミゲル・アンドゥハー選手(23歳、ドミニカ出身)だ。彼の残した成績は、以下の通りだ。
■ミゲル・アンドゥハー(ヤンキース内野手)出場149試合 打率2割9分7厘 本塁打27 打点92 盗塁2
なぜ災難かといえば、ナショナル・リーグで新人王に輝いたアトランタ・ブレーブスのロナルド・アクーニャ選手(20歳、ベネズエラ出身)を上回る成績をあげているからだ。
■ロナルド・アクーニャ(ブレーブス外野手)出場111試合 打率2割9分3厘 本塁打26 打点64 盗塁16
アクーニャにとってラッキーだったのは、大谷がア・リーグにいたことであり、アンドゥハーにとっての不運は、大谷が同じリーグでプレーしていたことだ。
ただ私がここで言いたいことはそんなことではない。今回新人王になった大谷ですら、もし去年デビューしていたら間違いなく新人王は取れなかったはずだ。なにしろヤンキースのアーロン・ジャッジ選手が新人最多となる52本のホームランをかっ飛ばしていた。ジャッジは、満票で2017年ア・リーグ新人王に輝いている。
それゆえに新人王と言っても、このタイトルは相対的なものなのだ。大谷がこの受賞をうれしく思いながらも、どこか他人事のようにこれを受け止めているのは、心のどこかにそうした思いがあるからなのだろう。つまり新人王には、運も必要なのだ。
では、大谷の何がすごいのか。何が100年に一度の僥倖なのかと言えば、それはやはり「ベーブ・ルース以来」といわれる二刀流をこの時代に彼が志していることだ。
新人王の権威を矮小化するつもりではない。しかし、周囲の喜びとは裏腹に、彼はそこを目指して米国に渡った訳ではないのだ。私がこの稿で強調したいのはその点だ。彼のすごさは、残した数字ではない。それを比べるだけでは、相対的なものしか見えてこない。
彼が目指しているのは、比類なき絶対的な存在だ。
彼の本当のすごさは、忘れられていた二刀流という快楽を復活させて、それを身をもって楽しんで見せていることだ。新人王がすごいのではなくて、誰もやっていないことを貫いて、周囲の評価を一変させてしまったことだ。
そもそも大谷の二刀流というチャレンジは、既存のタイトルや価値観を壊す戦いである。そうしたものに縛られないプレースタイルが二刀流だ。
だから、大谷にとってこれは、「もらえるものはとりあえずもらっておく(通過点)」というくらいのスタンスでいいのだろう。
大谷翔平の爽やかさと気品のある謙虚さにだまされてはいけない。二刀流とは「野球を通じた世界制覇」の別称である。新人王というタイトルはそのチャレンジャーに似合うアクセサリーであり、野望に対する免罪符でもある。
私たちが誇るべきは、新人王と取るような選手が日本から生まれたことではなく、絶対無比なスタイルを貫く(大志を抱く)若者が世界に飛び出していったことである。(=一部敬称略)
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