成績には無頓着、ひたすら技術を磨く

 自分の成績に関しては、無頓着というか、よいとも悪いとも思わない。それが現実だということだろうか。それよりも彼の中では、試合に出られなかった悔しさが保存されている。

 私が感心したのは、三振の多さを尋ねられて以下のように答えていることだ。

 「課題の一つとは思うが、格上の相手に対して、全部打ちに行くことはできない。取るところは取って、捨てるところは捨てないと、力が上の人に対してはなかなか勝てない」(日経新聞10月4日付)

 大谷は、自分より実力のある人の存在を認めているのだ。決して「俺が一番だ」とは思っていない。この立ち位置が意外であり、大切なことだと思った。「自分が最高ですべてをなぎ倒してやる」などと驕ったことはまったく思っていないのだ。それよりも実力者に対しては、欲を捨てて真摯に戦いを挑んでいく。負けることも想定しているので、結果に一喜一憂しないのだ。つねに冷静で謙虚であることが、彼の普段の姿勢といえるだろう。

 そして、今年のプレーをこう総括している。

 「今までのように、楽しく野球ができたのが一番よかった。ポストシーズンに行けない悔しさはあるけれど、それは来年にぶつけられたらいい」(日経新聞10月2日付)

 大谷翔平のすごさを「普通過ぎること」と言ったら、誤解を招くかもしれないが、賢明な読者のみなさんはもうすでにお気づきかと思う。彼はまったく力むことなく自然体で野球と自分自身に向き合っているのだ。そこに成績や他者(対戦相手やライバル)の存在はない。いや、もちろんそれもあるのだろうが、彼が興味をもって立ち向かっていることは、自分自身を上達させることであって、彼が問うのは「そのことに楽しく取り組めているか?」ということだ。

 当たり前のことだが、何事も楽しければ集中力も持続力も生まれてくる。創意工夫や決断力や行動力も、その源は楽しさと言えるだろう。

 大谷翔平が野球を通じてそのことを伝えようとしているわけではない。彼は、自分が没頭できる野球というものに全力を傾注しているだけだ。その姿勢は、少年が日の暮れるまで飽くことなくボールを追いかけている姿にも似ている。そんな少年が楽しみにしていることは、野球ができる明日が来ること。

 大谷のすごさは、普通過ぎることを今も普通にできることだ。

 ベーブルースと比較されることについて、彼は言った。

 「うれしい気持ちはあるが、本の中でしか見たことがなく、神様みたいな存在だと思うので、自分と(比べ)どうか、ということはない。(自分が)野球をやめる時にどうなっているか、ということでいいのではないか」(日経新聞10月2日付)

 球聖ベーブルースも、大谷の眼中にない。

 他者との比較を喜ぶのは、大人の得意技だ。

(=敬称略)

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