休場明けの稀勢の里に注目が集まる(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 横綱が勝つだけで場内から万雷の拍手が起こる。みんなが勝ってほしいと願いながらその相撲に注目する。そんなことでは、横綱として恥ずかしいということでもあるだろうが、今場所(大相撲秋場所)の稀勢の里には、期待と心配が入り混じった応援が連日送られた。

 8場所連続休場からの復活の土俵。初日の勢戦から5連勝。心配された序盤の相撲を何とか無傷で乗り切ったが、その内容はサーカスの綱渡りを見るようなハラハラドキドキの連続だった。6日目の千代大龍戦で黒星を喫すると、7日目の千代の国との一番では、土俵際で投げを食らい悪い連敗癖が始まったかと思ったが、稀勢の里が寄せた体に千代の国の足が先に土俵を割り、「寄り切り」で辛くも6勝目を手にした。

 そして圧巻だったのは8日目大関・栃ノ心との相撲だ。前日、玉鷲に痛い2敗目を喫していたもののその負けを引きずることはなかった。大関ともケガで休場が続いてからおよそ1年戦っていない。

 横綱がどこまで回復したのか? ここまで6勝している力は本物なのか? さまざまなことが試される一番だった。

 すごい力相撲だった。50本の懸賞がついた結びの一番。立ち合いから真っ直ぐに当たった稀勢の里は、得意の左四つに持ち込んだものの栃ノ心も角界を代表する怪力力士だ。がっぷりと組み合って譲る気配はない。何度も右からの下手投げを繰り出してくるが、稀勢の里はそのたびに体を寄せて栃ノ心を土俵際に追い詰めていく。稀勢の里は焦ることなく栃ノ心に圧力をかけ続けた。そして、腰を落としての我慢。栃ノ心ももう耐えることはできなかった。決まり手は「寄り切り」。横綱・稀勢の里が、大関・栃ノ心に対して横綱の意地を見せる好一番となった。

 この相撲を絶賛したのは、貴乃花親方だった。審判として土俵下から稀勢の里の相撲を見ていた。

 「表情も落ち着いていて頼もしい。今場所一番の気迫だった。左を差して自分の形。攻められても慌てない。とにかく威力、実力がある」

 貴ノ花親方のコメントは、多くの相撲ファンが、そして私が感じた思いを代弁してくれるものだった。さらに言えば、「こんな相撲が取れれば、もう大丈夫!」と思わせてくれる一番だった。

 それにしても稀勢の里は、何も語らない力士だ。今場所も勝っても負けても、ほとんど何も言わない。取り組みの後は「明日も集中してやるだけです」と言うだけで、余計なことは一切口にしない。その姿勢は、横綱になった時から一貫している。まずもって横綱になった時の口上からしてシンプルなものだった。

 「横綱の名に恥じぬよう精進致します」