男子バスケ日本代表の4選手らは帰国後、記者会見に臨んだ(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
アジア大会の最中に、男子バスケットボール日本代表選手4人が夜、街に繰り出して、買春行為に及び日本選手団を追放になった件について書こうと思う。
その日の勝利(カタール戦)に緊張から解放された気分もあったのだろう。酒が入って、気持ちの抑制がきかなくなってしまったこともあったのだろう。インドネシアという外国の地で開放的になってしまったこともあったのだろう。深夜に外出することで、同じチームのアマチュア選手に対してプロらしいところを見せたいというような意識も手伝ったのだろう。五輪や世界選手権のような大会に比べて、アジア大会を格下の大会だと思っていたのだろうか。
4人全員がBリーグのプロ選手、しかも成人しているのだから、夜の街に遊びに出ることもとがめられる立場でも年齢でもない。せっかくプロ選手になったのだから、誰に遠慮することなく自分の好きなような人生を送ればいい。それがプロ選手の特権であり、負うべき責任でもある。
ただ、この出来事をどんなに好意的に受け止めても許されないことは、残念ながら彼ら自身も今や自覚していることだろう。
このところスポーツ界で続いている不祥事。その多くは、指導者やスポーツ団体の上層部の問題であり、まだ選手の問題でないことにわずかながらの救いがあった。だが、いよいよ選手がやってしまった失敗については、これだけをスルーするわけにもいかない。これ以上、この一件について書くのも気が重いばかりだが、若い選手たちの教訓にするためにも、なぜこんなことが起こるのかを考えなければならない。
詳しい情報をもう少し報告する必要があるだろう。27歳、23歳、23歳、22歳の4選手は、宿舎での夕食会が終わると午後10時ごろからジャカルタの歓楽街に日本食を食べに出かけたという。やきとり屋で酒を飲んで2軒目の店を探している時にその晩の相手となる女性たちと出会ったらしい。彼らの説明によると日本語と現地語を話せる男性が間に入って交渉をまとめてくれたらしい。そして、あろうことか彼らは、その夜に日の丸の付いたジャパンの公式ウエアで飲み歩いていたというのだ。
それでは、もう、どうしようもない。日本ボクシング連盟山根明元会長の日の丸の付いたジャンパーにもハラハラしたが、彼らには、言葉もない。いや、それを着る「資格がない」としっかり言わなければいけない。
彼らは結局、自費で強制帰国させられた。そして、帰ってきてすぐに都内で記者会見に臨んだ。
どの話も聞いていられない内容だった。女性にいくら払ったのかというような質問も飛んだ。
会見には、日本バスケットボール協会の三屋裕子会長も同席した。記者に倫理規定をどう指導してきたかを問われて次のように答えた。
「日本代表にこれまで倫理研修をやってこなかったことが先ほど発覚した。代表にはそれ相応の選手を集めていたつもり。そこまでやらないといけないかと思うが、今後はやっていく」
「国旗に泥を塗ってしまった」
23歳の選手は言った。
「将来は日本代表になることがずっと夢だった。やっとつかんだチャンスを、このような形でつぶしてしまった。日本の国旗に泥を塗ってしまった」
そして、そうなってしまった理由を「浮ついた気持ちでそういったことに至った。自覚の甘さ」と振り返った。
後悔先に立たず。やってしまってからでは、どうしようもないのだ。いくら弁護しようと思っても、もう助けようがない。しかるべき処分を受けて、それでもまだバスケットボールをやりたいのなら自分の言動でそれを示して戻ってきてください…としか言いようがない。
私もこれでも元プロ野球選手だ。
若いころは、試合を控えて飲み歩いていたこともある。遠征先ではオネエちゃんの店で騒いだりもした。プロには、酒でも飲んで忘れたいことがたくさんある。だから聖人君子みたいなことを言うつもりはない。むしろプロなんだから、自分の好きなように飲み歩けと言いたいくらいだ。その責任を負うのは、すべて自分自身なのだから。
しかし、この一件ではそれが許されない。なぜか。
そこには、選手としての「プライオリティー(優先順位)」があるからだ。
国際大会における最優先事項は、行動規範を守ること。それをやらなければ一人の失敗が多くの人の迷惑になるからだ。規範から外れたら多くの場合、個人で償いきれない代償をともなう。だから選手として、またプロとして最も避けなければいけないリスクということになる。
優先順位分からぬなら救いようがない
公式ウエアの着用もそれ自体に責任が伴う。
国旗の付いたウエアに袖を通した瞬間から、そのウエアに求められる行動と品格が発生する。品格を守ることもまた最優先事項だ。
現役の選手でいる以上、どこで何をするかについては、必ずプライオリティーがある。選手に求められる自覚とは、その優先順位を自分で判断できるということだ。三屋会長も、代表クラスの選手ならば、教えられなくてもそのプライオリティーが分かっているだろうと思っていたのだ。
若いうちは羽目を外すこともあれば、思いもよらない失敗もあるだろう。ただ、どんなことにもプライオリティーが必ずある。
それはスポーツの世界だけでなく、私たちの社会生活や仕事の場面でも当然ある。それが現実であり、大人の世界だ。
自分が得意なスポーツを、あるいは自分の大事な仕事を、プライオリティーを忘れて失っているようでは、あまりにも稚拙だ。
彼らに代表の資格がないことは明白だ。しかし、復帰の資格がないわけではないだろう。考えて欲しいのは、選手としてのプライオリティー、その一点だけだ。
それが分からなければ、選手を続けていくことは難しいことだろう。いや、何をやってもダメかもしれない。厳しいけれど、それがルールだ。
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