延長13回の打撃は、無死ランナー1塁2塁から始め、打撃順は12回攻撃時の順番を引き継ぎゲームを進める。なお決勝戦でタイブレークは採用されず、15回打ち切り再試合となる(再試合ではタイブレークを適用)。

 13回表、星稜がまず2点を取る。これで星稜が圧倒的に有利かと思ったら、ドラマはその裏に待っていた。済美が無死満塁のチャンスをつくると1番の矢野功一郎選手(3年)がライトポールを直撃する逆転サヨナラ満塁ホームランを放って13対11で劇的な幕切れを迎えた。ゲームの詳細を追いたい素晴らしい激闘だったが、この試合についてはここまでにしておこう。

「高校野球が高校野球でなくなる」との批判

 考えたいのは、タイブレークの導入が「丸刈りの球児を減らす」という流れだ。

 タイブレークの導入に異を唱える声の主流は、「高校野球が高校野球でなくなってしまう」というものだろう。どこまでも戦って決着をつける。それが最後の夏を迎える球児たちが望む戦いのはずだ。その緊迫した延長戦にこそ、高校野球の神髄がある。人為的にランナーを置いて戦うのは、高校野球の精神に反するのではないか?

 そうした主張は十分に理解できるが、それでもタイブレークを導入した理由は、選手の疲労を考えて、とりわけ投手にかかる負担をいかに軽減するかという発想から決まった採用だ。延長18回でも決着がつかず、再試合を迎える。それは観る者にとっては最高のゲームだが、プレーする選手たちにとっては大きなダメージを残す。将来のある球児たちにそこまでの負荷をかけていいのか。そうした議論を経て導入されることになったのがタイブレークだ。そこにある精神は「選手個人を守る」という考え方だ。

 高校野球には、今も良い意味での全体主義が働いている。高校球児は、「伝統の高校野球という文化」を守るために一丸となって戦っているのだ。勝利は学校の勝利であり、代表する地域の勝利だ。それは選手だけの誇りではなく、在校生の誇りであり、野球部OBを含めた卒業生みんなの喜びであり、地域の誇りだ。そうした考え方の上に高校野球があるので、たとえ延長になってもどこまでも戦い続けることが高校球児の使命であり美学でもあった。つまり個人よりも「高校野球という伝統」や学校や地域が大事なものとして存在していたのだ。だから彼らは、肘や肩を痛める心配があっても、どこまでも投げ続けることを選んだ。あるいは強いられてきた。

 丸刈りとは、個人を主張しない髪型だ。ちょっと乱暴な言い方かもしれないが、丸刈りとは高校野球に身を捧げ、チームや地域を最優先に戦うことを髪型で表しているのだ。

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