それは衣笠さんが引退してから聞いた話だ。自身のキャリアを振り返って、彼はこう回想したのだ。

 「ここまで長く野球をやることができたのは、丈夫な体に産んでもらったおかげなんですが、僕がもうひとつ感謝していることは、入団して10年目に三塁手にコンバートされたことなんですよ。慣れないポジションを任されることによって、どうやったら上手くなれるかということをずっと考え続けた。そのおかげでいつでも野球と新鮮に向き合うことができた。それは僕にとってとっても大事なことだったと思っているんですよ」

 1965年、京都の平安高校(現龍谷大平安)から捕手として広島カープに入団した衣笠さんは、その俊足好打を買われて2年目に一塁手に転向する。その後、一塁手として活躍してレギュラーを獲るが、1975年に三塁手にコンバートされる。三塁を期待された外国人選手が一塁を守りたいと言い出したことから生まれた配置転換だった。しかし、衣笠さんはこれが転機だったというのだ。

 「僕はもともとキャッチャーでしたから、ゴロを捕るのに最初からそんなに自信があったわけじゃない。それでもやっと一塁手に慣れてきたかなと思ったら、今度は三塁手ですよ。でも、慣れないポジションだから、いろんな人に話を聞いてどうやったら上手くなれるかを考え続けた。野球に対して謙虚になれた。だから他の選手の守備もよく見て研究しましたね。そうやっていくとだんだん上手くなっていくのが分かる。それがうれしくて毎日練習するのが楽しみになってくるんですよ」

 そして衣笠さんは「名三塁手」としても名声を高めていった。幸いかつ光栄なことに、私はヤクルト時代、衣笠さんと現役生活が3年間重なっている。同じ三塁手として衣笠さんのプレーを憧れの目で見ていたが、当時の衣笠さんがそんな思いで守っていたとは知らなかった。鉄人は最初から鉄人だったわけではないのだ。得意なことを自信たっぷりに続けていたのではなく、慣れないポジションで何とか上手くなってやろうという向上心と研究心こそが衣笠さんの原動力だったのだ。

 これは私たちにとっても、大きな教訓と言えるだろう。好きなことや得意なことに取り組めることはラッキーなことだ。しかし、もし予想外のポジションに着くことになっても、それが大きなチャンスに転じることもある。いや、得意なことほど驕りや油断が生まれて、成長の速度が遅くなることも間々あることだ。与えられたポジションで精一杯頑張ってみる。その真摯な思いが、自分を大きく成長させてくれたと衣笠さんは三塁へのコンバートを振り返っているのだ。

アロハシャツと笑顔

 ハワイ・ホノルル郊外のアロハシャツの店先で衣笠さんに会ったことがある。そこはビンテージ物を数多く揃えた名店として有名なところだ。

 「青島君もアロハが好きですか。それは良かった。ここは結構良いものが見つかりますよ」と言って、後から来た衣笠さんはうれしそうに店内に消えていった。

 アロハ選びもそうだ。好きなことは楽しい。ただ、不慣れなことや苦手なことにも思わぬ展開が待っているかもしれない。問題は、そのこととどう向き合うかということだろう。

 アロハを見ると鉄人の笑顔を思い出す。

 この夏も、もちろんアロハを着よう。