衣笠祥雄さんが死去した。71歳だった。(写真:アフロ)
それはつらいテレビ中継だった。4月19日の横浜DeNA対巨人戦。
TBSの戸崎貴広アナウンサーと解説の槙原寛己さんが軽快に話を進める中、時折、いったいどうしたのかと思うほどかすれた声が聞こえてくる。途中からテレビを見た私は、しばらくその声の主が誰なのかが分からなかった。しかし、しばらくしてそれが衣笠祥雄さんの声だと知って、何とも言いようのない嫌な予感を覚えた…。
その放送から4日後。鉄人死す。
4月23日夜、衣笠祥雄さんが亡くなった。おそらく声が出ないだけでなく、体調も優れなかったことだろう。それでもマイクの前に座る。最後まで鉄人は鉄人らしく野球と真正面から向き合いながら逝った。
現役生活23年。生涯で2543安打を打ち、放った本塁打は504本。500本以上のホームランを記録している選手で盗塁王(1976年)に輝いたのは衣笠さんしかいない。打つだけでなくスピード(走力)も魅力の選手だった。また受けた死球は歴代3位の161個。相手バッテリーも長打を警戒して、それだけ厳しくインコースを攻めてきたということだろう。
しかし鉄人が鉄人たるゆえんは、そうした多くの死球にも負けることなく続けた連続試合出場。2215試合連続出場は、その後、米大リーグのカル・リプケン選手(2632試合)に抜かれたものの、誰も真似のできない世界第2位の偉大な記録と言えるだろう。
盗塁王や打点王、ベストナインやゴールデングラブなど数々の賞を受賞し、87年には当時の世界記録だったルー・ゲーリッグの2131試合連続出場を抜き、国民栄誉賞も受賞している。いずれも衣笠さんを語るには、ぴったりの賞ばかりだが、その足跡と偉業をたどるのはここまでにしておこう。
私が鉄人について思い出すのは、実はあまり鉄人らしくない話なのかもしれない。
それは衣笠さんが引退してから聞いた話だ。自身のキャリアを振り返って、彼はこう回想したのだ。
「ここまで長く野球をやることができたのは、丈夫な体に産んでもらったおかげなんですが、僕がもうひとつ感謝していることは、入団して10年目に三塁手にコンバートされたことなんですよ。慣れないポジションを任されることによって、どうやったら上手くなれるかということをずっと考え続けた。そのおかげでいつでも野球と新鮮に向き合うことができた。それは僕にとってとっても大事なことだったと思っているんですよ」
1965年、京都の平安高校(現龍谷大平安)から捕手として広島カープに入団した衣笠さんは、その俊足好打を買われて2年目に一塁手に転向する。その後、一塁手として活躍してレギュラーを獲るが、1975年に三塁手にコンバートされる。三塁を期待された外国人選手が一塁を守りたいと言い出したことから生まれた配置転換だった。しかし、衣笠さんはこれが転機だったというのだ。
「僕はもともとキャッチャーでしたから、ゴロを捕るのに最初からそんなに自信があったわけじゃない。それでもやっと一塁手に慣れてきたかなと思ったら、今度は三塁手ですよ。でも、慣れないポジションだから、いろんな人に話を聞いてどうやったら上手くなれるかを考え続けた。野球に対して謙虚になれた。だから他の選手の守備もよく見て研究しましたね。そうやっていくとだんだん上手くなっていくのが分かる。それがうれしくて毎日練習するのが楽しみになってくるんですよ」
そして衣笠さんは「名三塁手」としても名声を高めていった。幸いかつ光栄なことに、私はヤクルト時代、衣笠さんと現役生活が3年間重なっている。同じ三塁手として衣笠さんのプレーを憧れの目で見ていたが、当時の衣笠さんがそんな思いで守っていたとは知らなかった。鉄人は最初から鉄人だったわけではないのだ。得意なことを自信たっぷりに続けていたのではなく、慣れないポジションで何とか上手くなってやろうという向上心と研究心こそが衣笠さんの原動力だったのだ。
これは私たちにとっても、大きな教訓と言えるだろう。好きなことや得意なことに取り組めることはラッキーなことだ。しかし、もし予想外のポジションに着くことになっても、それが大きなチャンスに転じることもある。いや、得意なことほど驕りや油断が生まれて、成長の速度が遅くなることも間々あることだ。与えられたポジションで精一杯頑張ってみる。その真摯な思いが、自分を大きく成長させてくれたと衣笠さんは三塁へのコンバートを振り返っているのだ。
アロハシャツと笑顔
ハワイ・ホノルル郊外のアロハシャツの店先で衣笠さんに会ったことがある。そこはビンテージ物を数多く揃えた名店として有名なところだ。
「青島君もアロハが好きですか。それは良かった。ここは結構良いものが見つかりますよ」と言って、後から来た衣笠さんはうれしそうに店内に消えていった。
アロハ選びもそうだ。好きなことは楽しい。ただ、不慣れなことや苦手なことにも思わぬ展開が待っているかもしれない。問題は、そのこととどう向き合うかということだろう。
アロハを見ると鉄人の笑顔を思い出す。
この夏も、もちろんアロハを着よう。
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