ベーブ・ルースの時代はベンチ入りの人数も少なく、投手としてはもちろん打者としての才能が買われれば、今よりももっと自由に両方での出場が可能だった。いや、それを強いられていたというべきだろう。控え選手が少ないので、投げられる人は、必要に応じて投げる。打てる人は、投手でも打席に立つ。

野球人生を掛けた勝負

 ベーブ・ルースはもともと投手としてボストン・レッドソックス(1914~19年)にやってきたが、打撃での活躍が著しく、打者としての出場がどんどん増してくる。それでも最初の4年間は投手中心でプレーしていたので、純然たる2WAYで活躍したのは18年、19年の2年間だけだ。

 20年にニューヨーク・ヤンキース(20~34年)に移籍したのを機に、ベーブ・ルースは打者に転向し、この年に54本塁打を記録している。ヤンキースで登板したのは、その後のキャリアで5試合だけ。つまりベーブ・ルースは、どうしても二刀流がやりたかった訳ではなく、当時の野球環境とチーム事情の中で、投手と打者の才能を買われて、両方を見事にこなしていたのだ。

 ところが大谷翔平は違う。

 好んでこれをやってのけようとしているのだ。いや、そんな軽い気持ちではない。野球人生を賭けて、二刀流に取り組んでいるのだ。

 いまだにファンの間でも、評論家諸氏にも、どちらかに早く転向した方が良いという意見があるが、大谷がそうした声に耳を傾けることは、しばらくないだろう。なぜなら彼はベーブ・ルースに憧れて「野球の神様」と同じようなスタイルを踏襲しているわけではなく、まったく新しいもの(新しいスタイルと新しい価値)を作り出そうとしているのだ。

 おそらくこの行為(二刀流)に勝る快感はないだろう。自尊心や優越感というものが他者との関係で意識できるものなら、大谷が感じているものはその種のものではないはずだ。

 もっと根源的な快楽。

 打つこと、投げることにおいて、授かった身体性と持てる能力を存分に使い切る。野球を愛し、野球に愛されるスピリチュアルな関係とでも言おうか。

 これは単に私の想像でしかないが、いつの日かその境地を大谷にじっくりと尋ねてみたいと思っている。ただ戦いの中にあって、それは今聞くべきことではないだろう。

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