ただ、ここで言いたいことは、「監督業の大変さ」ではない。言語とコミュニケーションについてだ。

 先の岡田氏の発言には、外国人であれば言葉が十分に分からないことがプラスに働くという意味もあるのだろう。だからこそ耐えられる。すべてが伝わってくる自国では、そのストレスが大きすぎる。「自国の監督はやるものじゃない」には、そうした言語の問題も含まれている気がする(今は監督も選手も、世界中どこへ行っても英語でのコミュニケーションが当たり前になっているが…)。

乗り越えられなかった言葉の壁

 監督解任の経緯を田嶋会長は、これまでの戦いの中で総合的に判断したと説明したが、先のベルギー遠征(マリ戦、ウクライナ戦)で、「選手とのコミュニケーションや信頼関係が薄れてきた」ということも理由として挙げた。

 それは、直接的に言語の問題というわけではないが、日本にとっての外国人監督の「壁」がそこにあることも確かだろう。監督の真意が分からない。コミュニケーションがうまく取れない…ということには、岡田氏の言うメリットの部分が、選手や協会との関係性ということにおいては、言語の違いがデメリットになってしまった部分もあるのだろう。

 しかし、それもこれも監督の能力と仕事の領域の話であり、コミュニケーションに大きな問題があったというのであれば、それはハリルホジッチ氏の失敗といわざるを得ないだろう。

 監督業に永遠はあり得ない。

 その立場の維持と許される活動時間について、あえて身近なことで例えると、それは交通系ICカードの「スイカ」や「パスモ」をチャージするのに似ている。監督は、要所要所の試合に勝つことによって、自身のカードをチャージする。必要な金額が十分にあれば、いつでも代表チームという電車に乗れるのだが、チャージに失敗して残金がなくなれば、ゲートが閉まって入れなくなってしまうのだ。

 先のベルギー遠征はハリルホジッチ監督にとって、6月にロシアで開かれるW杯に向かうために何が何でも良い結果でチャージしなければいけない局面だった。W杯に出場しない両国に1敗1引き分け。これではチャージできない。

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