まさに歴史に残る逆転優勝。春場所千秋楽、新横綱・稀勢の里が見せた執念の相撲は、見る人を熱くさせる感動の戦いぶりだった。
[画像のクリックで拡大表示]
1月に横綱へ昇進した稀勢の里。横綱として臨んだ春場所は今後に語り継がれる逆転優勝となった。(写真=つのだよしお/アフロ)
アクシデントは13日目の横綱・日馬富士戦に起こった。日馬富士の強烈な立ち合いを受け止めた稀勢の里だったが、もろ差しを許すとそのまま土俵際まで押し込まれた。下がりながら得意の左で振ったが、すっぽ抜けるように空を切る。この時に稀勢の里の顔が一瞬ゆがんだ。上体が起き上がった態勢では残しようがない。そのまま日馬富士に寄り倒されて土俵下に左肩から転げ落ちた。
どこを痛めたのかを稀勢の里は明言していないが、おそらく左の胸か腕の筋肉だろう。胸を押さえて激痛にもがく稀勢の里は、しばらく立ち上がることができなかった。
大ケガで優勝は絶望的に?
この一番まで12勝全勝。相撲内容も完ぺきで、優勝は間違いないだろうと思われていた。ところが「好事魔多し」である。
すぐさま病院に救急搬送された稀勢の里。あの痛がり方では、残り2日は休場だろうと誰もが思ったはずだ。しかし、稀勢の里は翌日(14日目)の土俵に戻ってくる。
鶴竜との横綱対決。ただ、ケガはまったく癒えていないのだろう。稀勢の里は、力なく鶴竜に寄り切られて何もできなかった。
これで稀勢の里の成績は12勝2敗。千秋楽は13勝1敗の大関・照ノ富士との対戦。優勝するためには、本割で照ノ富士を倒して、優勝決定戦に持ち込むしか道はない。しかもケガを抱えたまま、照ノ富士に2番続けて勝たなければならない。土俵には帰ってきたものの優勝は絶望的だと思われた。
病状を口にしなかったことが勝因?
しかし、稀勢の里はなんとここから2番連続で照ノ富士を倒す。
本割の一番では、痛めた左腕(?)をかばうように左に回って、照ノ富士の体を右胸で受けた。横綱が立ち合いで変化したことへの批判も起こったが、まともにぶつかれないほどのケガだったのだろう。それでも稀勢の里は、足は動くのだから「足で相撲を取ればいい」と思っていたそうだ。押し込んでくる照ノ富士を土俵際で回り込み右手一本で突き落とした。投げ終わったあと稀勢の里は、つま先で軽く動くようにステップを踏んで見せた。まさに足で取った相撲だった。
20分後の優勝決定戦もミラクルな相撲だった。
今度はもろ手突きで真っ直ぐに立った稀勢の里だったが、左腕に力が入らないのだろう。脇が甘く、いきなりもろ差しの態勢になられてしまう。この時点で「勝負あった」と思われたが、稀勢の里はまだ諦めていなかった。土俵際まで一気に押し込まれたが、絶体絶命のピンチで放った技は、いままでやったことのない右からの小手投げだった。勝負を焦って浴びせ倒そうとしてきた照ノ富士の重心は高く、稀勢の里の右手一本の投げが見事に決まった。
初優勝からの連続優勝、新横綱の優勝は貴乃花以来22年ぶり史上8人目だった。優勝インタビューで稀勢の里は、「なにか見えない力を感じた」と涙を浮かべながら語った。
優勝は15日間戦い続けた結果だが、私はケガを負ってからの稀勢の里の言動が気になっていた。おそらく土俵に上がれないほどのケガをしていたのだろうが、それでも相撲を取れたのは稀勢の里の心のマネジメントにその秘密があったように思えてならない。
「それは何か?」と言えば、彼が一度も病状を口にしなかったことだ。それが稀勢の里に戦う力を与え、最後まで土俵に上がれた要因ではないかと思っている。
一部のメディアは、関係者の話として、左の「上腕二頭筋」を痛めたのではないかと報じたが、稀勢の里本人はケガの状態を一切語っていない。その姿勢は優勝が決まった後のインタビューや取材でも貫かれている。
どこをどうケガして、どう傷んでいるのかを稀勢の里は説明していないのだ。それどころか、病名や病状を詳しく知ろうともしていないのだ。でもだからこそ頑張れたのだろう。
ケガを自覚しないことの効能も?
「ケガや故障で病院に行くとプレーできなくなる」。そう言っていたのは、プロ野球の広島東洋カープで活躍し、監督も務めた野村謙二郎氏だ。
病院に行って病名を聞くと「そういうケガなんだ」と自覚してしまう。病院に行かなければ、痛くても痛い中でやれることを考える。ケガは、病院に行った時点で初めてケガになる。そうした考え方がカープには伝統的にあって、昔の選手はみなケガに強かったというのだ。
その代表が「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏(2215試合連続出場)であったり、カープOBの阪神・金本知憲監督(1492試合フルイニング連続出場)だったりするのだ。
また先のWBCでは、埼玉西武ライオンズの秋山翔吾選手が足の小指を骨折していながらプレーを続けていたという。それを彼が口にしたのも準決勝で敗退してからのことだった。
稀勢の里が病状を口にしなかったことは、戦う相手へのプレッシャーにもなったことだろう。どの程度のケガなのか相手も分からなければ、ケガに同情しつつも不気味なものだろう。そして何よりそれを言わないことの効能は、自分自身に最後まで戦う覚悟をもたらしてくれることだろう。
「どこがどう痛くて、どんなケガをしている」。それを言うことは、自分への言い訳でもある。「だから仕方がない…」と敗因を最初から口にしているようなものだ。
これは私たちの日常にもあることだ。二日酔いだ、頭が痛い、寝不足だ…。仕事がはかどらない要因がいくらあっても、それを口にすることで解決するわけでもない。ほとんどの場合、それは自分への言い訳だ。どんな状況でもやらなければいけないことは、やらなければならない。そう思って覚悟を決めたときに、思わぬ力が出たりすることもある。
稀勢の里のケガがどれほど深刻だったのかは、あの立ち上がれないほどの痛がり方から想像がつくが、それ以降、ケガをケガと認めない彼の言動が「見えない力」となって、無意識に痛めた個所を使わない取り口を稀勢の里にさせたのだと思う。
もちろん私などには、到底できることではないが…。
Powered by リゾーム?