「誰が取ろうが、僕も取ります」
乱暴を覚悟で敢えて言えば、彼のコメント(考え方)はどんな時でも、以下の2軸で成り立っている。
- 他者に対しては寛容で、常に感謝の念を抱いて発言する
- 自分のことに関しては、揺るぎない自信を持つと同時に安易に評価しない
羽生結弦のそうした価値観と姿勢が見事に出たのは、次のコメントだろう。男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。
羽生結弦は、言った。
「誰が取ろうが、僕も取ります」
私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。
一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。
どんなコメントをするか、どんな話し方をするかは、競技者にとっても仕事をする私たちにとっても、言えば2次的なものだ。まずもって大事なのは競技におけるパフォーマンスであり、仕事の内容そのものだ。
しかし、その自分を向上させてより良い選手(人物)になっていくためには、何を考え、どんなことを口にするかということが重要になってくる。
なぜなら、その人の話やコメントは、その人の内面そのものだからだ。輝かしい五輪連覇は、「コメント力がもたらした」などと言う気は毛頭ない。それは、彼の人間性と競技力そのものの成果だ。
4回転ジャンプなど、私たちは誰もできない。
ただ、彼から盗めるものもある。それは、「王者の話し方(考え方)」。
「誰が取ろうが、僕も取ります」である。
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