世に称賛の言葉はどのくらいあるのだろうか。その偉業を称える表現は、何種類くらいになるのだろうか。そんなことを考えてしまうほど、この一週間はあらん限りの賛辞が彼に贈られた。
言うまでもない。平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで2連覇を達成した羽生結弦選手(23歳 ANA)だ。
平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで2連覇を達成した羽生結弦選手。彼のコメントは常に穏やかで抑制の利いたトーンだが、印象に残り、鋭いイメージを喚起する。(写真=JMPA代表撮影(毛受亮介))
メディアというメディアが彼を取り上げ、余すことなく彼の活躍を報じた。2月17日の金メダル獲得から1週間がたとうとしているが、その盛り上がりは依然として続いている。
こんな状況の中で、まだ彼について書けることがあるのか?
どの番組を見ても、どのコラムを読んでも、羽生の強さとすごさが伝わってくるものばかりで、これから彼について何かを書こうするのは、もう難しいだろうという気さえしてくる。
しかし、ここでひるんでしまったら、彼の演技を見て感じた前向きなエネルギーが行き場を失ってしまう。それはもったいないので勇気を出して、当方にとっての4回転ジャンプに挑戦してみよう。
去年11月に右足首のじん帯を損傷。3カ月を要した治療とリハビリ。しかし、そのブランクをものともせずに、ぶっつけ本番で臨んだ五輪の舞台で、羽生結弦はショートプログラム(SP)とフリーの演技を完璧に滑った。
圧巻、究極、超絶、最高、驚異的、歴史的、鳥肌、すご過ぎる、規格外、異次元、前人未到、王者復活、等々ありとあらゆる賛辞が紙面を飾った。どれも的を射ているが、それでもまだまだ足りない気がする歓喜の復活劇だった。
何がそれをかなえたのか。羽生のすごさは、どこにあるのか。これについても「心」「技」「体」さまざまな要素がすでに語られている。
そこで私はフィギュアスケートから離れて、彼が発するコメントから羽生選手の競技姿勢を考えてみたいと思う。
リベンジする相手は自分自身
彼のコメントは、常に穏やかで抑制の利いた平易なトーンで語られる。決して過激な言葉や、刺激的な表現を使うわけではない。しかし、それでいていつでも印象に残り、鋭いイメージを喚起する。
ここには、他のアスリートにとっても参考にすべきスタイルがあり、私たちにとっても考えるべき姿勢があるように思う。
例えば、羽生がフリーの演技を前にして発言した次の言葉だ。それは、SPが終わった後のテレビインタビューでの発言だった。
Q:どうしてこんな演技(SP 1位)ができたのか。
「僕はオリンピックを知っていますし、大きいことを言うなと言われるかもしれませんが、僕は元…今は元と言えばいいのかな。元オリンピックチャンピオンなんで。リベンジしたい。オリンピックチャンピオンと言ってからリベンジしたいというのは、おかしいですが、自分にとって(ソチ五輪での)フリーのミスが、ここまで4年間、頑張って強くなった一つの原因だと思っているので、また明日(フリー)に向かってリベンジしたいという気持ちが強いです」
ひと言でいえば「自信にあふれている」ということだが、問題はその「自信」の作り方だ。それは「僕はオリンピックを知っています」という言い方に象徴される。臆することなくオリンピックの経験を自らの武器にする。つまり自分の経験してきたことを、それが成功であろうが失敗であろうが、今の自分を支えている大きな財産なんだという肯定的な捉え方だ。
そしてもう一つの特徴は、戦う相手を常に自分自身に設定していることだろう。これは採点競技というフィギュアスケートの競技性にも由来することではあるが、倒すべき相手や戦う対象を過去の自分や今の自分自身にセットしている点だ。試合でリベンジする対象は、常に自分自身なのだ。だから対戦相手や周囲の動向に影響を受けることもない。
「誰が取ろうが、僕も取ります」
乱暴を覚悟で敢えて言えば、彼のコメント(考え方)はどんな時でも、以下の2軸で成り立っている。
- 他者に対しては寛容で、常に感謝の念を抱いて発言する
- 自分のことに関しては、揺るぎない自信を持つと同時に安易に評価しない
羽生結弦のそうした価値観と姿勢が見事に出たのは、次のコメントだろう。男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。
羽生結弦は、言った。
「誰が取ろうが、僕も取ります」
私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。
一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。
どんなコメントをするか、どんな話し方をするかは、競技者にとっても仕事をする私たちにとっても、言えば2次的なものだ。まずもって大事なのは競技におけるパフォーマンスであり、仕事の内容そのものだ。
しかし、その自分を向上させてより良い選手(人物)になっていくためには、何を考え、どんなことを口にするかということが重要になってくる。
なぜなら、その人の話やコメントは、その人の内面そのものだからだ。輝かしい五輪連覇は、「コメント力がもたらした」などと言う気は毛頭ない。それは、彼の人間性と競技力そのものの成果だ。
4回転ジャンプなど、私たちは誰もできない。
ただ、彼から盗めるものもある。それは、「王者の話し方(考え方)」。
「誰が取ろうが、僕も取ります」である。
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