「メダルの獲得、それがどうした」

 作家に比べてスポーツ選手のキャリアは、かなり短いと言えるだろう。才能のある選手は、若くして華々しいデビューを飾る。しかし、そこを唯一のハイライトにして姿を消していく選手も数多くいる。むしろそのほうが一般的なケースと言えるかもしれない。

 勝利の女神は、そう何度も何度も同じ選手に輝いてくれない。作家が次回作にもがき苦しむように、選手たちも過去の自分を越えようと必死になって戦い続ける。

 高木も高梨も、大きな挫折を乗り越えてその輝きを再び取り戻した。二人の頬を喜びと安堵の涙が流れた。その光景は、嬉しくも美しい姿だった。スポーツにおける幸福な瞬間、伊集院氏の話を思い出した所以(ゆえん)である。

 私淑する伊集院氏の言葉に「それがどうした」というフレーズがある。色紙に書き残しているものを飲食店で見たこともある。高木選手も高梨選手も片時も自身の味わった悔しさを忘れなかったのかもしれない。しかし、その一方で大きな挫折を乗り越えるためには、「それがどうした」というタフな気概もあったことだろう。

 「それがどうした」

 それは挫折を越えていくための言葉であり、成した栄光を忘れて初心に帰るための言葉でもあるのだろう。それゆえに、生意気を覚悟で敢えて言おう。

 メダルの獲得、それがどうした。

 そして、メダルを逃した多くの選手にも言おう。それがどうした。

 彼女たちの偉大さは、ここまで諦めずに戦い続けてきた、その「ファイティング・スピリット」にこそあるのだ。

 高木美帆選手、高梨沙羅選手、素晴らしい戦いをありがとう。