理想を求めないスポーツに何の意味があるのか?

 ロングハースト氏は、のちに高名なゴルフ評論家になっている。

 古き良き時代の話だと言ってしまえばそれまでだが、ゴルフは自己申告、今もこうした精神の上に成り立っている。英国で盛んなクリケットにも同じような考え方が残っている。基本的には自己申告、微妙なプレーについては選手同士で話し合って決める。

 理想を求めないスポーツに何の意味があるのか。同様な観点で、ドーピングにまみれた五輪に何の意味があるのか。

 メダルに値する選手たちの素晴らしい活躍を否定する話ではない。多くの選手の崇高な精神を汚さないために、これまで以上に反ドーピングの活動を徹底的にやるべきだろう。

 そして誇り高く戦った選手たちに対しては、メダルの有無に関わらず最高級の敬意を払うべきである。

 私は願う。

 小平奈緒よ、研ぎ澄ました究極のスケーティングを見せてやれ。
 高梨沙羅よ、ソチの悔しさをバネにK点を軽々と越えてやれ。
 羽生結弦よ、身体にしみ込んだ技の凄さをぶっつけ本番でも出してやれ。
 渡部暁斗よ、鳥のように飛んで雪ウサギのように駆けてやれ。
 葛西紀明よ、8回目の五輪がまだ通過点であることを教えてやれ。
 カーリングのメンバーよ、日本の繊細さを大胆に見せてやれ。

 さあ、日本の選手たちよ、誇り高きその雄姿を世界中に見せてやれ。

 誘惑に負けない強い意志。
 濁りのない心と身体。
 飽くなき向上心。

 スポーツも仕事も、誇りこそが推進力だ。