最年少で卓球日本一、平野美宇の言霊戦法に学ぶ
五輪代表の石川選手も呆然…“予想外ショット”の秘密とは?
16歳9か月。史上最年少で卓球日本一に輝いた平野美宇選手のここまでの歩みとその言動を考えると、私たちにも大いにヒントがあると思った。
彼女が卓球日本一をかけて戦ったのは、1月22日に行われた卓球全日本選手権女子シングルス決勝(東京体育館)。相手は、五輪2大会連続のメダリスト、大会4連覇を狙う女王・石川佳純選手(23歳)だった。
史上最年少で卓球日本一に輝いた平野美宇選手。五輪代表の石川選手を呆然とさせた、その成長の秘密は何だったのか?(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
リオ五輪メダリストの石川が呆然自失
準決勝をともに4対0のストレートで勝ち上がってきた平野と石川の激突。平野の勢いには目を見張るものがあったが、石川は去年も決勝で平野を破って優勝している。しかも昨夏のリオデジャネイロ五輪では、団体とはいえ福原愛、伊藤美誠とのコンビで銅メダルを獲得している。経験豊富な石川は、今や世界トップクラスの選手である。
いくら進境著しい平野と言っても、まだ16歳の若手。強気の石川が軽く蹴散らすのだろうと思っていた。
ところが平野の攻撃的な卓球に、石川はまったく歯が立たなかった。第1ゲーム、第2ゲームといきなり平野が連取すると、第3ゲームで石川がなんとか意地を見せたが、平野の怒涛の攻めは止むことがなかった。続く第4ゲームを平野が取って、第5ゲームを石川が取り返したものの、王手をかけた第6ゲームは、勢いに勝る平野が石川を寄せ付けず、11対6で取って(ゲームカウント4対2)史上最年少での初優勝を決めた。
4連覇を逃した石川の言葉が、起こった事態をよく物語っていた。
「正直何が起こったか分からない…」
そう、石川は、まさかこの年下の相手に負けるとは思っていなかったのだろう。そして、その一方的な展開の中で「焦ってしまった」と言った。
最年少日本一に平野を変えたものは?
実力者が若手や伏兵に負けるときは、前回のコラムでも書いたが、いつでもこんな展開だろう。相手の攻撃を受けに回って焦ってしまう。その状態では、いくらトップ選手でも日ごろの力を発揮することができない。
しかし、この大会の平野は、若さの勢いというより彼女自身の卓球のレベルが数段上がったという戦いぶりだった。それは、石川のこんなコメントからも伝わってくる。
「レシーブがスマッシュのようだった」
それは予想外のショットが想定外のスピードで返ってきたということだ。
何がそこまで平野を変えたのか?
それは、優勝後にインタビューで語った彼女の言葉によく表れていた。
「リオ(五輪)に出られず、悔しくて絶対優勝したかった」
平野は決勝前日にも、「(石川に)勝てる」「優勝したい」と臆することなくその気持ちを言葉にしていた。
優勝によって手に入れた5月の世界選手権への出場について聞かれても、「中国人を倒してメダルを取る」と言い切った。
彼女にとっての転機は、自身が言っている通りリオデジャネイロ五輪の代表から外れ、補欠で五輪に同行したことだろう。はじめは悔しさのあまり行くことに価値を感じなかったが、それでは意味がないと気付き、代表組のプレーを客観的に観察した。
そして改めて感じたことは「代表になれなかったのは五輪への思いが足りなかったから」ということだった。
強気の発言で積極性を高める
そこから強い気持ちを意識するようになったことと、プレースタイルがラリー重視から一気に超攻撃的に変わったことは、もちろんリンクしていることだろう。勝つためには、相手のミスを待つのではなく自分から積極的に仕掛けていく。それが石川も度肝を抜かれた、レシーブではあり得ないショットを打ってくる平野のスタイルだった。
優勝した夜に出演したNHKのスポーツ番組でも、早くも「東京五輪で金メダルを取りたい。会場も同じ東京体育館なので…」と宣言していた。
こうした強気の発言で、一気にその実力がブレークするのはまさに若さの特権だが、目標ややりたいことをきちんと言葉にすることの効能は、世代を問わず、仕事を問わず、私たちにとっても大事なことだろう。
それを言葉にすることで自分の中の意識が高まり、決心や覚悟が決まることも確かだ。高すぎる目標がプレッシャーになることもあるが、どうせやるなら自分の思いを言葉にした方が潔い。
平野選手は、こんなこともメディアに向かって言っていた。
「もう好感度は気にしない。嫌われても、勝てばいい」
これを言っているのが16歳の女子選手である。「嫌われないように立ち回る」は大人の処世術だが、時には「嫌われたってかまわない…」と、我を出して自分のスタイルで仕事をするのも大人の仕事術ではないだろうか。
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