トップも悩む。だからチームで経営

ブリヂストンは現在、タイヤ業界で世界シェア1位。躍進のきっかけは1988年、米大手ファイアストンの買収でした。当時経営不振に陥っていた同社を立て直したのが、後に本社社長に就任した海崎洋一郎氏です。

津谷:ものすごい苦労をしました。海崎さんの派遣は1991年ですが、そのころファイアストンは1日1億円の赤字を出していました。海崎さんは大出血を止めた大功労者です(編集部注:就任直後に日本側から米国側への直接の指示をできなくするほか、販売体制の再編や現地本社の移転を断行した)。

 私もインタビューを受けるとよく「天才だった」と表現しています。ただ、トヨタ自動車とかホンダみたいに、米国事業がブリヂストンの稼ぎ頭になるほどまでは至らず、海崎さんが日本に戻ってからは低空飛行が続きました。

なぜ、低空飛行が続いたのでしょうか。2000年初頭にはファイアストン製タイヤをめぐって、大規模な自主回収を迫られていますが、これも関係していますか。

津谷:現地のことは現地に任せるべきです。売り上げも最終利益も、基本的には現地が責任を負うべきです。一方で、私達はグループ全体でビジネスをやっているわけですから、統一された戦略やポリシーを守ってもらう必要もある。ここの線引きが曖昧でした。

 海崎さんのあとは米国人がトップに就くことが多かったのですが、リコール(回収・無償修理)の問題も、米国側からは「日本人が口出しするからおかしくなった」という思いがあったかもしれない。米国の会社はCEOが解雇権を持っていて、権限が強い。部下たちは「君はもう要らない」とは言われたくないので、上のほうを見て仕事をしてしまいます。すると、経営のチェック&バランスが利かなくなるのです。

米国事業がグループ全体に貢献するようになったのはいつごろですか。

津谷:2010年頃でしょうか。米国ではCEOとCOOの二頭体制を導入したのです。さきほども言いましたが、人には思い込みがある。迷うこともあれば、間違うこともある。だから米国では誰か1人が会社を引っ張るのではなく、2人が相談しながらチェック&バランスを利かせる体制をつくったのです。さらに、それでも間違うことはありえるから、グループ内の他の会社から人材を送り込むようにもなりました。

トップも悩む。だからチームで経営

日本でも2012年に社長職を廃止し、CEOとCOOの二頭体制に移行しました。

津谷:米国での導入はある意味では「実験」でしたが、うまくいったので日本にも導入しました。経営者っていうのは、やっぱり苦しいときがあるんです。最後の決断を下すのはCEOですが、それまでに自分を疑ったり、悩んだり、考えたり、あるいは仲間と議論を尽くしたりするなかで、決断をすることになります。たとえば2013年にイタリア工場の閉鎖を決めたときも悩みました。不祥事への対応だってそうです。

 人事についても、私が「この人だ」と思っていても、西海さん(COO)に「いや、津谷さん、でもこうじゃない?」と言われたりします。お互いの考えが違うことが大事なんです。考えが違うなら「なぜ違うんだろう」とお互いに話しあうことになる。すると「あ、そうか、僕はここを気にしてたんだ」と気づきます。

 自分が漠然と懸念しているんだけれど、その正体がわからないことってありますよね。そんなとき、チームで議論していれば自分がなにを心配していたのか、くっきり浮かび上がってくるんです。これがトップとしての決断に役に立ちます。

 チーム経営は人材の育成にもつながります。私が荒川(詔四、元社長)からバトンを受けとったときも、私はすでにチームの一員でした。自分のやってきたことだから、自分がよくわかっている。戸惑いはなかった。

 グローバルな経営陣をどう育てるのか、というのは、これだけ事業がグローバル化するなかでは大きな課題です。海崎さんはすごく勘がいい人で、彼だからこそ大胆な改革ができたかもしれない。だけど、そこで終わったら意味がありません。ブリヂストンはもともと、強いリーダーシップをもつ創業者がいましたが、徐々にチームでの経営に軸足を移してきた会社です。経営者ひとりから、チームによる経営へ――。これは海崎さんの後に社長になった渡邉(恵夫)さんや荒川さんも、そして僕にまでも引き継がれている伝統なのです。