こんにちは。私は相続を生業としている弁護士や税理士等の専門家で組織された協会、相続終活専門士協会の代表理事を務める江幡吉昭と申します。本連載では、我々が幾多の相続案件の中で経験した事例を何回かに渡ってご紹介したいと思っています。
伝えたいことはただ一つ。どんな仲が良い「家族」でも相続争いに巻き込まれると「争族(あらそうぞく)」になってしまうということです。そこに財産の多寡は関係なく、揉めるものは揉めるのです。そうならないために何が必要なのでしょうか?具体的な事例を基に、考えてみたいと思います。
今回は 二次相続発生後、数千万円は残っていると思っていた母の預金が、ほぼなくなっていたケースです。
裕福だった父は億を超える預金を母に残したが、母の死後に銀行残高は数十万円にまで激減していた。実家に頻繁に入り浸っていた長女が次女と三女に漏らした一言とは?
●登場人物(年齢は相続発生時、被相続人とは亡くなった人)
- 被相続人 母(東北地方で夫が造り酒屋を経営)
- 相続人 長女(74歳、東北のある地方都市に在住)
- 相続人 次女(72歳、横浜在住)
- 相続人 三女(69歳、東京在住)
●遺産 自宅3000万円、銀行預金数十万円
東北地方のある地方都市の話です。代々造り酒屋として、その地方では有名な会社を経営していた父はそれなりの資産を遺しました。ただし、このご夫婦は男子に恵まれず、娘が3人いるだけでした。
父が他界したとき、その会社の経営は父の弟の家系が継ぎました。よって父(造り酒屋元社長)が亡くなった後、母は会社の株式を保有せず、会社の経営からは距離をおきました。目立った資産は自宅と現預金くらいのものでした。
とはいえ、その地方では有名な造り酒屋です。父はそれなりの現預金を遺して死亡しました。問題が発覚したのは母が死亡した後、二次相続が発生したときでした。
長女・次女・三女とも全員結婚していますが、地元の企業に勤務する男性と結婚した長女だけが母の近所に住んでおりました。次女・三女は全国転勤のサラリーマンと結婚したため、夫の仕事の関係で東京と横浜に住んでいます。
長女は実家から徒歩数分のところに住んでおり、母親の家を頻繁に行き来していました。母は元気で80歳になっても一人で海外旅行に出掛けるほどアクティブ。頭の方も歳の割には元気で、日常生活に問題はありませんでした。
ただ、言ったことをすぐ忘れてしまうので、娘たちはよく振り回されていました。「長女に財産全部上げる」と口走ることもありましたし、「三人の娘に財産は均等に分けてね」など、言うことはかなりまちまちでした。
と言いつつも、孫たちには毎年110万円ずつの暦年贈与(注)は忘れずにしてくれるような祖母でした。
(注)「暦年贈与」とは、暦年(1月1日~12月31日)ごとに贈与を行い、その贈与額が年間110万円以下であれば贈与税がかからない制度のことです。
そんな母が90代で大往生しました。遺言はなく、四十九日の後、造り酒屋の会計を見てもらっていた税理士の先生に相続税の申告も頼むことになりました。
実家に通帳が一冊もない
地元ではそれなりの会社を経営してきた一族なので次女・三女は基礎控除(3000万円+600万円×3人)である4800万円を優に超える財産が残っているものと思っていました(基礎控除を超える財産があると相続税の申告納税が必要です)。実際、父の死亡時に母は、億を超える現預金を相続していたことを姉妹は知っていました。
ところが母親の財産を整理していると自宅以外の目立った遺産がありません。というのも数千万円はあると思っていた銀行預金がなんと数十万円しか残っていないのです。
そもそも母が一人で暮らしていた家を探しても預金通帳が一つもありません。おかしいと思った次女と三女が、実家に頻繁に行き来していた長女に聞いたところ、なぜか長女が銀行のキャッシュカードを持っていました。長女曰く「お母さんはもう現預金なんてほとんどないんじゃないのかしら」。
父の死亡時に億を超える現預金を相続した母。海外旅行に行ったり、孫に生前贈与したりしたとしても、いくら何でも残金が少なすぎます。銀行の残高証明を取得してみるとたしかに数十万円しかありません。
そこで銀行から取引明細書を取得したところ、かなりの年月にわたって毎月70~80万円の預金がコンスタントに引き出されていました。おかしいと思った次女と三女が長女を問い詰めた結果、「母親の生活費として引き出した」と白状しました。
長女は「毎月お金をおろすのが億劫な母に代わってやってあげたことよ!」と言い出す始末。たとえ長女が親切心で母の代わりに銀行に行ったとしても、それだけの金額を毎月使いきれるはずがありません。旅行以外で目立った贅沢をしない母だったので、次女と三女はそのお金は長女が持っているのではないかと疑いました。しかし、証拠がありません。
次女と三女が振り返ってみると、この数年、長女は自宅のリフォームや海外旅行に毎年行くなど、夫が定年したとは思えない羽振りのいい生活をしていたことを思い出しました。おそらく母の預金口座から下ろしたお金の大半は、長女が使ってしまったのではないかということになりました。
次女と三女は長女と裁判することも考え、弁護士に相談もしましたが、長女が使い込んだという確固たる証拠はありません。最終的には裁判を起こす金銭的負担と時間、そして世間体などを考えて泣き寝入りせざるを得ませんでした。
成年後見制度も万能ではない
今回のケースのように、足が悪い高齢者の代わりに親族が金融機関から生活費などを下ろしてくるという話はよくあります。そして、多めに引き出して自分の懐に入れてしまう親族も少なくないのです。
今回のように他の親族が離れて暮らしている場合、こうした実態は親が亡くなるまで判明しないものです。ひどいケースの場合、認知状態になってしまった親を銀行に連れて行き、改印までして子供がお金を引き出してしまっていたというケースもあるほどです。
こうした問題が発覚しても後の祭り。使い込んだと思われる親族を訴えたとしても、使い込みの証拠がない限り裁判で必ず勝てるわけではありません。こうならないためにはどうすればいいのでしょうか。正直なところ、遺言でどうこうできる問題でもありません。
判断能力がやや鈍った親兄弟の財産を守るために、最近では信託という方法もあります。ただ、コストもかかりますし、万人ができる手法でもありません。
成年後見制度はどうでしょうか。意思能力が弱った親を被後見人とし、後見人を子供が担うことで、こうしたトラブルを回避する方法もたしかにあります。しかし、これも非常に難しいものがあります。成年後見制度を利用した場合、被後見人(ここでは親)の財産は守られる一方、今回のような資産家の場合、自宅の処分や相続税対策などは非常にやりづらくなります。今回のケースでは、母は孫たちに一人毎年110万円ずつ現金を生前贈与していましたが、成年後見制度を利用するとそうしたこともできなくなります。
やはり年齢的に相続が現実的になってきた時点で、できるだけ早く専門家に相談するのが望ましいでしょう。被相続人の希望に応じて方針を決め、相続の準備を少しずつでも進めておけば、不要なトラブルを防止することにもつながります。
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