たかが英語、されど英語

 私は商社時代には通算9年間アメリカに駐在し、50代の後半から10年近くはアメリカの会社(クアルコム)に勤めた。それ以外でも韓国や中国、東南アジアとの関係が深く、どう考えても「国際派」に属する。逆に言うと、日本国内での「売ったり買ったり」にはあまり経験がない。34歳で初めてアメリカに行ったぐらいだから、英語は実用一辺倒でしかなく、そんなに得手ではないが、日常の仕事は英語で考えをまとめていく方がリズムに乗れる。日本語では言葉数が多くなってしまい、何となくリズムに乗れない。

 実際に海外で仕事をしていれば、コミュニケーションの重要性は痛いほどわかる。端的に言えば、英語で普通にコミュニケーションができなければ、仕事を普通に進めるには極めて大きなハンディキャップになる。「たかが英語、されど英語」なのだ。それなのに、日本人の多くは今なお極端なまでに英語を苦手にしている。英語が苦手だと、「プレゼンテーション」と「ディベート・ネゴシエーション」という「国際的なビジネスを行うための2つの重要なスキル」がともに欠落してしまう。

 日本では、知性派であるという意識の強い人ほど、アメリカ発の「グローバル・スタンダード」に従うことに抵抗感を持つ傾向があるようだ。しかし、これはおかしい。ビジネスを行ううえでの「スタンダード」とは、「共通言語」のような「一種の道具」であり、「何が一番正しいか」ではなく「何が一番広く通用するか」が重要なのだ。

 私は、クアルコム勤務時代に、日本と並んで東南アジア市場の統括を担当したことがあるが、「各国の責任者はできる限りその国の人にする」という原則を作り、実際にそれを徹底した。

 当初は各国の責任者の能力について若干心配したが、結論から言えば、彼らの能力は日本の部課長クラスをしのぐほどだった。問題にアプローチする手順や、比較検討のやり方、結論の出し方が、米国流のグローバル・スタンダードに則っているため、分かりやすいのだ。これに比べて、一般に日本人の中堅幹部のプレゼンテーションは、その人に特有な「思い入れ」が強く出るケースが多く、また、一部が極端に細かい話になって、全体像が把握しにくかった。