
お坊ちゃんだったコンプレックス
西武百貨店は老舗の百貨店に対して、追い着け追い越せということでやってきた「成り上がり」のようなイメージがあったのではないですか。80年代ごろはどうでしたか。
糸井:デパート業界の中では、西武は何を騒いでいるんだ、みたいに見えていたんだと思いますけど、大衆のレベルではもう互角に見えていたと思います。かつては三越、高島屋みたいなところが上で、そして伊勢丹もあるなかで、西武なんかはと言われていたけれど、もう当時であれば、若い人は西武の方が上だと思っていたかもしれない。それはやっぱり広告と様々なプロデュース力ですよね。
そうした企業イメージの向上に、堤さんはかなり戦略的に取り組んでいたと思いますか。
糸井:戦略的ですよね。だって自分のところが池袋の長靴を履いても来られるデパートというところから始まっているわけですから。
ただし、そうしたお客さんを拒否するなというのは、堤さんの心の中にすごくあった。長靴のお客さんが堂々と入ってこられるデパートでなくてはいけないと。そういうお客さんを歓迎しろというのは、特に役員に対してものすごく言っていました。それが面白いところですよ。
役員に対して、そうした理由で怒ることもあったのですね。
糸井:もともとそんなところから始まったデパートが何を偉そうにしているんだというのは、怒るときの鍵でした。「あんた方みたいな、本部にいて下の方がかすんで見えるようなところで、書類だけをひらひら眺めている人たちにはお分かりにならないと思いますけれども」みたいな、ものすごい嫌みを言うんです。
一方では、ものすごく浮世離れしたところもあって、僕のよく行くご飯屋さんでちょっと高い店があるんだけど、そこに堤さんが来たときに何人かでご飯を食べて、1人ランチで5000円ぐらいの店だった。それが、堤さんが、いや、僕がと言って財布から1万円札を出して5人分をお釣りを待っていたという。慌てて秘書の人が、あっ、私がと言って。知らせないように払ったらしいですけど。ああ、そうだろうなと思います。
庶民の生活実感はあまりなかったと。
本当の世情は知らなかったと思いますよ。知らなきゃだめだって、一番言うのが堤さん自身なのですが。やっぱり初代じゃないですから、ダイエー創業者の中内さんなどとはちょっと違う。大実業家の息子として育った人ですから、そこは違うと思いますね。
だけどそういうふうに、「雲の上の人」みたいな存在になりたくなかったのでしょうね。
糸井:下に見られている側の人たちに対しての視線は、相当、学んで身に付けたものじゃないかな。そうあるべきだという。自分がお坊ちゃんだったというコンプレックスがあったと思います。それが彼の小説にも反映しているのでないでしょうか。特異な作家だし、特異な経営者でした。何より感心するのは、経営者だったのに小説を書けたということです。普通は、絶対あり得ないですね。エッセーは書けると思うんです。でも、小説を書くという、自分の世界に没頭してしばらく抜け出られないようなことを、経営者をやりながらやるなんて考えられないです。
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