![<span class="fontBold">[いとい・しげさと]</span><br />1948年群馬県前橋市生まれ。69歳。株式会社ほぼ日代表取締役社長、「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。71年コピーライターとしてデビュー。「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。また、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍。98年に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。運営会社の「ほぼ日」は2017年3月東証ジャスダック市場に上場した。](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/report/16/111500181/121500002/p1.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=0ae0770980)
1948年群馬県前橋市生まれ。69歳。株式会社ほぼ日代表取締役社長、「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。71年コピーライターとしてデビュー。「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。また、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍。98年に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。運営会社の「ほぼ日」は2017年3月東証ジャスダック市場に上場した。
西武セゾングループと関わったきっかけは。
糸井:北海道・旭川にグループの商業施設ができたときに関連する仕事をやらないかと呼ばれました。僕が作詞してシンガーソングライターの矢野顕子が曲を作って歌うというコマーシャルソングを作りました。それが始まりです。
それが悪くなかったんでしょうかね。西武百貨店の年間キャンペーンを君やらないかと言われました。西武は池袋本店の規模を拡大し、これから変わっていくことを世の中に押し出していく時期でした。その最初のコピーが1980年の「じぶん、新発見。」ですね。
堤さんとの関わりはそのころからでしょうか。
糸井:そうですね。百貨店のキャンペーンのほかに、西武流通グループ(後のセゾングループ)全体の企業広告もやらないかと言われました。これはなかなか簡単な仕事じゃないので、若い自分としては、あれっ、そんな重い仕事しちゃってと思ったんですけど、逃げるわけにもいかない。これを引き受けたおかげで、堤さんと打ち合わせをする機会が増えました。
堤さんとの打ち合わせはどんな内容でしたか。
糸井:例えば何もない土地に街をつくる不動産事業や、買収した会社をどう伸ばすか、といった事業プラン全体を聞く立場にありました。その仕事のおかげで、広告というのが事業の最後の仕上げで表現をするところだけを引き受けるのではなく、経営トップが考えているビジョンを丸ごと理解しないと作れないんだということが分かったのです。
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