苦労したからこそ、時間軸で遠くまで見る視野

1980年、西友のPBとして生まれた無印良品は、当初、食品の品ぞろえが多かった

1990年代の半ばには、すでに堤氏は経営の一線を退いていました。それでも消費者に対する堤氏の鋭い感覚を感じましたか。

金井:ありましたね。やっぱり苦労しているので、人間の本質みたいなことが見え、あるいは時間軸で遠くまで見る視野があったんだというふうに思いますよね。

その苦労というのは何でしょう。

金井:堤さんが、西武グループの創始者である父の康次郎さんから継承したのは、池袋駅前の百貨店でした。堤さんがこう語っていたのを覚えています。

 「いつつぶれてしまうかみたいな恐怖感の中から必死にもがいただけのこと。私がやったことをイノベーションと言ってくれる人もいるけど、もがきあがいた結果だ。そして最後に、無印良品に行きついた」という内容です。

その後、セゾンという巨大なグループを作り上げた堤氏ですが、最初に入った西武百貨店の再建は堤氏にとっては大変な挑戦だったわけですね。

金井:三越や伊勢丹など、老舗の百貨店がやらないことを何かやらなきゃいけないという中で、今でいうラグジュアリーブランドを欧州から持ってきた。パリに妹の堤邦子さんがいたので、それも活用して、次々にブランドを百貨店に導入したんですね。

堤氏が完全に引退して以降、そういう歴史などについて良品計画の幹部や社員の前で、堤氏に話してもらう機会はありましたか。

金井:2008年ごろに堤さんをお呼びして商品開発の担当者らに対して、お話をしてもらいました。

金井さんが社長になって間もないタイミングですが、無印良品を立ち上げた創業者である、堤氏をお呼びしたいという気持ちがあったのですか。

金井:そうだったと思います。やっぱり正直、堤さんという存在は、どっちかというと詩を書いて、小説を書いて、映画を作ったりという面を見ると、本業の小売業じゃないものをいっぱいやった、みたいに思う人も多かったでしょうね。

 セゾングループが、あれだけの事業、あれだけの会社をつくって、結果的に堤さんが全部見ることはできなかった。東京シティファイナンス(グループにあったノンバンク)など、ああいったところから、綻びが出たわけですが、当時IT(情報技術)も整備されていない中で、グループ200社の財務を的確にみられる人なんて、誰一人いなかったでしょうね。