ロンドンから一通の手紙

西友が1989年に子会社として良品計画を設立して以降、無印良品は独立した会社によって運営されるようになりました。1991年には海外1号店をロンドンに出しました。

小池:青山の店ができて5年後、1988年に1通の手紙がロンドンから来たんですね。それは、あの著名なリバティ百貨店の仕入れ担当の女性からのもので、こんな内容でした。「我々はロンドンの百貨店として常に東洋から英知をもらってきました。そして今回開店記念周年を迎えるにあたり、東洋から一番重要なものをロンドンに持ってきたいと思って、5年間、無印良品の日本の店に通って勉強しました」と。彼女らが尽力してくれて、リバティ社とのパートナーシップ契約による1号店を、ロンドンのカーナビー・ストリートに開業したのです。

 1号店の立ち上げに向けたチームの中で、現地の人たちは無印良品と発言しにくいこともあって、社内でMUJIと通称していたんです。日本語ではMUJI=無地、つまりプレーンという意味もあり、田中さんもいいねと言って、すぐにMUJIのロゴが生まれました。

無印良品は昨年海外の店舗数が国内を逆転しました。当初から、世界各国の素材や工芸品に着目して商品開発をするなど、世界を見据えた意識を持っていたように感じます。

小池:そういう時代だったと思いますね。携わったクリエーターなど関係者はみんな世界を目指す意識を持っていました。ロンドンの店舗が生まれたことで、それまで蓄えてきたものを全部出せるような気持ちでした。世界でも無印良品の考え方を絶対に分かってもらえると思ったし、特に海外の人たちは何かこういうものが東洋から欲しいんじゃないかという考えもありましたね。

2000年にもう1回、「愛は飾らない。」というコピーで広告を展開しています。このころ良品計画は企業規模がとても大きくなる一方、その歪みも現れていました。無印良品の原点の再確認が必要という思いがあったのではないでしょうか。

小池:そうですね、原点に立ち返るという思いは常に持っている会社ですが、そのときは特に、無印良品の発売から20年記念ということでもう1回、きちんとしましょうと。

その「きちんと」という、流されずに踏ん張ろうというところが、個性を失わないために重要なのでしょうね。

小池:本当にそう思います。いわば堤さんがレガシーであり、彼が最初につくられたものをどう受け継ぐかということについては、私が無印良品の皆さんを見ていて、すごいなと思うところです。物づくりをするうえで、社内の議論の中などで、これが本当のMUJIだろうかとか、そういう点検というのをとても大事にしていると思います。

田中一光さんが2002年に亡くなりましたが、私も、どんどん新しい人が仕事をしたほうがいいと思って、少し無印良品に関する仕事を控えていたんですね。そうしたとき、2008年に社長に就任した金井政明(現会長)さんが、電話をかけていらして、「どういうふうに無印の軸をきちんと守っていい物づくりをするかということを考えているんです。それでちょっと研究所みたいなものをやりませんか」とおっしゃいました。それで「くらしの良品研究所」というのをつくったのです。これは金井さんの英断ですよね。

金井さんが無印良品の本質をいかに継承するかという問題意識を強く持っていたのですね。

小池:そうですね。どこかできちんと軸になる考え方を持って、それを伝播していけるようにという思いだったのでしょう。デザインとか商品づくりを、点検できるような研究所が必要ということです。私は、無印良品を生み出した思想とか言葉というものがきちんと残っていくことが大事なんじゃないかと思うので、その部分を手伝っていきたいなというふうに、金井さんとお話ししたのです。
 そうしたら金井さんは、じゃあ、その思想に沿って「くらしの良品研究所」のコピーを書いてくださいとおっしゃいました。原点に照らし合わせて、この商品は本当のMUJIを伝えているかという確認をしてきたのだから、「くりかえし原点」。だけど、時代も素材も変化するのだから、未来的な方向もないといけないと思って、それで「くりかえし原点、くりかえし未来」というコピーを書きました。それが今、柱になっていますね。

当初から小池さんが参加していますが、クリエーターたちで構成しているアドバイザリーボードの活動も金井さんは強化してきましたね。

小池:そうですね。一番重要な物づくりはもちろん、出店計画や、最近中国から始めた「MUJI HOTEL」も含めて、そういう事業のすべての根幹の発想と決断は、アドバイザリーボードの会議がもとになっていると思います。ホテルについては、クリエーターサイドでは結構前から話題に上がっていました。無印のコンセプトでホテルもできるね、と。