カタカナの名称は嫌だね

無印良品は、バブル期に向けて日本の消費市場を席巻していた高級ブランド品に対するアンチテーゼという意味も持っていましたね。

小池氏は「しゃけは全身しゃけなんだ。」などインパクトあるコピーを多数生み出し、「無印良品」の発想を消費者に伝えた。
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小池:欧米のブランドがどっと日本に入ってきたときに、ブランドだけが独り歩きして、付加価値としてマークが1つあるだけで高く売れていくという現象に対する違和感について、クリエーターの仲間で話していました。普通に自然で取れるお野菜にしても肉にしても、それから木綿や絹など布素材にしても、それ自体にマークなどなくても生活者は価値を感じています。だから、ロゴマークだけが独り立ちしてしまうというのは、生活者の感覚から離れているんじゃないかという疑問が、無印良品の思想的な一番最初の出発点ですね。

そうしたクリエーターのひとたちの考えと、堤さんの思想が共鳴したということでしょうか。どのような形で議論をしたのですか。

小池:何か議論といっても、いわゆる会議体ではなかったですね。例えば、日本で育って日本のものを美しいと思う感覚はどういうことかといった文化論、生活論みたいなことを、ときにお酒を飲みながら、堤さん、田中さんも一緒に、よく話をしていました。そうした中で、関係者みんなが考えていることが一致したといいますか。それが同時代の感覚だったと思います。

「無印良品」という名称を決めるときは、どんな様子でしたか。

小池:田中さん、コピーライターの日暮真三さん、グラフィックデザイナーの麹谷宏さん、私、そして西友の宣伝部の方という少人数で話し合いました。ブランドではないもの、つまりノーブランドを日本語でと考えて、「無印」にたどり着きました。そして、グッドプロダクツという意味の「良品」と組み合わせて「無印良品」。その場ですぐに、面白いねということで、満場一致でした。海外ブランド全盛の中で、日本のものをきちんと作りたいという思いから、もともと堤さんも交えてカタカナの名称は嫌だねという議論はしていましたね。

大きな会社ですから、当然、トップの決裁が必要ですが、その宣伝部の方が、その日のうちに堤さんに報告に行ったら、すぐにオーケーが出たんですよ。そのとき、私ちょっと鳥肌が立ちました。すごい決断だなと思って。

小池さんは、コピーライターとして無印良品の精神を一貫して表現してきました。例えば発売当初、1980年の広告に「しゃけは全身しゃけなんだ。」というコピーがあります。

小池:西友の商品部の方が、市場や商品を調査した内容を書いたメモをクリエーターの私たちにも見せてくださったのですが、その中に、「しゃけは全身食べて美味しいのに、なかなか食べてもらえない」というような文言があったのです。それをもとに、「しゃけは全身しゃけなんだ。」という、私の一番好きなコピーができました。一般のメーカーの缶詰では、おなかの部分だけを輪切りにして売っていたんです。それに対して、あたまも、尻尾も使えば、筋肉の部分が含まれていておいしいし、もっと低価格で消費者に提供できるという考えでした。

1981年の「愛は飾らない。」というポスターもよく知られています。

小池:お母さんの気持ちになって、木綿の一番軟らかなものを赤ちゃんにあげたいというような発想のベビー服が無印良品の商品として出来上がりました。クリエーターの間で、「それってやっぱり母の愛情ですよね」という話をして、すぐ田中さんは、仲間のイラストレーター、山下勇三さんに赤ちゃんを描いてと頼みました。私は、できあがったイラストを見て、飾らない生活をしようという無印の心はこうかなと思って「愛は飾らない。」という言葉を作ったのです。

こういうコピーというのは、最後に決定するのは堤さんですか。

小池:最後はというか、堤さんはクリエーターと一緒に創り上げるという姿勢を絶対に貫きました。ですから、我々が考えた作品の候補を、最後に堤さんにお預けして、決めていただくという感じではなかったですね。