サントリーホールディングスは非上場では日本最大級の企業だ。丁稚奉公から身を起こした鳥井信治郎氏が大阪に「鳥井商店」を開いてから約120年、鳥井家は日本を代表する創業一族となった。同社はこれまで信治郎氏の3人の息子と、それぞれの子息が共同で経営を担ってきた。ただ今後は、経営者の世代交代が進む中で、共同経営の形は変わっていくかもしれない。信治郎の孫にあたる鳥井信吾副会長は、代表権もつ3人の創業家メンバーの1人だ。生産・研究部門を統括し、主力商品であるウイスキーの「マスターブレンダー」でもある。信吾氏は、サントリーが事業継承をめぐる揉め事を起こさずに、急成長を続けることができた理由は、創業者の個性によるところが大きいと考える。では次の100年に向けて、企業と創業家はどうすれば繁栄し続けることができるのか。信吾氏はインタビューに答え、創業家メンバーが定期的に集まる勉強会など、新たな取り組みについても語った。

(聞き手は鈴木哲也)

鳥井信吾(とりい・しんご)
サントリーホールディングス代表取締役副会長。生産・研究部門を統括し、3代目の「マスターブレンダー」も務める。創業者三男の鳥井道夫氏の子。63歳。
1975年、甲南大学理学部卒業。79年、南カリフォルニア大学大学院修了(微生物遺伝学)、伊藤忠商事入社。83年、サントリー株式会社入社、京都ビール工場、山崎ウイスキー工場に勤務。92年、取締役。2003年、代表取締役副社長。2014年から現職。同年から大阪商工会議所副会頭も務める。(写真:菅野勝男)

鳥井さんが、伊藤忠商事を経て、サントリーに入社したのが約30年前です。当時と比べると、製品は多様になり企業規模も膨らみました。鳥井さんから見て、会社のあり方や社風は変わってきましたか。

鳥井:変わったという声も多いですよ。中間管理層の社員なども含めて。確かにここ数年で、グローバル化は急速に進みました。2014年にはビーム社を1兆6000億円で買収しました。その前にも、フランスのオランジーナという会社など、海外企業を相次ぎ買収しており、海外売上高は約1兆円(海外比率は全体の38%)に増えました。鳥井信治郎が1人で始めたものが、今ではグループ全体の従業員が4万人以上になっていますから。ただ、ほかの人がどう考えているかはともかくとして、私自身、会社の本質は変わっていないと思います。

会社の本質を残すこと、そればかり考えている

その会社の本質について、鳥井さんは意識して残していこうとしているのですか。

鳥井:私は残そうと思って、毎日そのことばかりを考えています。しかし、私がそう思っているから残ってきたというよりも、企業の文化ってそう簡単に変わらないんじゃないかなという気もします。日本という国の文化も同じですよね。

鳥井さんが、変えたくないという、サントリーの本質とは何でしょうか。

鳥井:1つは会社へのロイヤルティーです。さすがに30年前とは違っているとは思いますが、やはり社員に愛社精神はある。それと数々のヒット商品を生んだ人たちをみると、技術、生産、開発系や、営業系の社員もそうですが、自分で勝手に考えてやるという気風があります。指示した人は何を考えているのかと想像しながら、自分にやりたいことをそれに合わせてやることが許されるのです。それが「やってみはなれ」ということなのかもしれません。そうは言っても、仕事は1人ではできません。その点、当社は社員の横のつながりも強いと思います。会社全体がひとつの家のようなのです。現代社会には合わないことかもしれませんが、良い面もあると思います。

そうした会社の個性は、創業者・鳥井信治郎氏の考え方が反映しているのでしょうね。

鳥井:かつて工場の品質管理のアドバイザーとして入ってもらった大学の先生に言われた言葉が、心に残っています。「この会社は、鳥井信治郎という1人の人物の情熱か熱情か情感か、そういうものがぐーっと凝縮されて、企業の形をしている」という分析です。

鳥井さんは副会長として、生産・研究部門を統括しています。会社の本質を残そうと日々考えている中でも、やはり創業者を意識することは多いですか。

鳥井:私はウイスキーの「マスターブレンダー」をずっとやってきました。ウイスキー造りは、創業者の精神とも非常に関わっているように思っています。
 信治郎の時代に、会社の成長を支えた大番頭がいました。作田耕三さんという人物です。創業者の鳥井信治郎は80歳を超えても社長を続けていましたが、会社にはそんなに出てこられなかった。次男の佐治敬三が専務、三男で私の父、鳥井道夫が常務として、実質的に会社を経営していたのですが、それでも作田さんに許可を取らないと、お金を引き出せなかったそうです。

まさに「金庫番」ですね。

鳥井:金庫番であり、精神的支柱だったのです。その作田さんが書いていた日記を、1カ月ぐらい前に読ませてもらいました。「赤玉ポートワイン」という、創業当時最大のヒット商品について、鳥井信治郎がどんな思いで作り出し、育てたのかが記されていました。
「これほどまで苦心し、打ち込んだ赤玉であった。(中略)商品への愛情――。そんな生ぬるいものぢゃない。たいしょう(注:信治郎氏は大将と呼ばれていた)自身であり、いのちであり、神さま・ほとけさまであったのである」