今年ほど、創業家の行動が世間の注目を集めたことはないだろう。出光興産、大戸屋ホールディングスなど、創業家と経営陣が対立し、会社に混乱をもたらした事例は少なくない。なぜ、創業家と経営陣はもめるのか。それを理解するには、まず、創業家の行動原理、いわば「作法」を知る必要がある。
日経ビジネス11月14日号では、「出光、トヨタ、サントリー 創業家の作法」と題して特集を組み、日本を代表する創業家の知られざる「作法」にスポットを当てた。日経ビジネスオンラインの連動企画第1回は、ベネッセホールディングスの創業家2代目、福武總一郎氏を取り上げる。ベネッセは2014年に“プロ経営者”といわれた原田泳幸氏を福武氏の意向でトップに招聘した直後、大規模な個人情報漏洩が発覚。それ以降、迷走が続き、今年6月に原田氏は引責辞任し、代わりに副社長だった福原賢一氏がトップに立つも3カ月で退任。10月1日から、米投資ファンド・カーライル出身の安達保氏が社長に就いた。
これまで沈黙を守っていた福武氏が日経ビジネスの直撃取材に口を開いた。さらに、そこで語られた本音を、福武氏から経営を託された安達氏にもぶつけた。
経営トップが相次ぎ替わり、会社が迷走しています。

福武總一郎名誉顧問(以下福武氏):ぬるま湯できた会社だから、変えたいと思って原田さんに来てもらったんです。社内で少々軋轢は起きると思ったけど、変えるにはああいう人が必要だと思ったから。指名・報酬委員会にも聞いたんですよ。あの時、みなさんいいと言ってくれた。今では、3対6だからね、社外が(編集部注:安達氏の社長就任より、社内4人:社外5人に)。それはきちんとしたんですよ。もし、とんでもないことが起きたら、僕がもう一度前面に出ようと思っていた。
原田改革には社内から大きな反発があった。原田氏の退任にあたっては、社外取締役が結構動いたという話も聞きます。
福武氏:それはあるけれども、やはり原田さんが自らね。気配を感じたのかもしれないが、それは立派ですよ。
慰留はしなかったのですか。
福武氏:原田さんが言うのだから仕方がない。少しはしましたよ。僕が選んだんだから。急だったからね。もう少しやってくださいと。
原田氏の後、福原氏、安達氏と立て続けに社長が変わっています。
福武氏:安達さんには、ずっとやってもらいたかった。安達さんはカーライルの良心ともいわれている人。だから、通算11年も社外取締役をやってもらっていたんです。福原さんが社長になったのは、まだ安達さんに決まっていなかったから。福原さんには、次のいい社長が決まるまで社長でいていただいたらいいと。
原田氏の招聘と同時に最高顧問となり、この10月から名誉顧問となりました。経営には未練はありませんか。
福武氏:親父が死んだのが70歳。その時、ある人に言われんです。『哲彦さんはいい時に亡くなられた』とね。親父は創業者で強烈な人だったから。その時、引き際が大事だと思った。
そもそも、会社を継ぎたかったのですか。
福武氏:全く興味ない。出版とか、ああいうの嫌いでしたし。
教育事業についてはどうでしょうか。
福武氏:教育は興味がないというか、僕は営業をやっていたから、お客さんの反応の方に興味があった。
むしろ、(現代アートの振興を目指す瀬戸内海の)直島でのプロジェクトや、「ベネッセ」(ラテン語の造語で「よく生きる」という意味)というコンセプトに興味があったように見えます。
福武氏:僕がやってきたのはビジョナリー経営、コンセプト経営ですから。
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