日本と米国では原発のビジネス手法が異なる

三品:同じテレビ事業でも、ブラウン管と液晶ではビジネスのやり方が全く異なります。原発でも相手が東京電力なのか米国の電力会社なのかで、やり方は大きく変わらざるを得ない。自らが事業主体となるMRJでは、ボーイングの下請け時代とは違った責任が生じます。

 失敗した企業はこうした違いを過小評価したのでしょう。目の前に流れる川の「深さ」を確かめないまま、渡れると思い込んで足を踏み込んでしまった。過去の成功体験から自信過剰になっていたのだと思います。

足を踏み出した段階で、既に間違っている可能性がある。

三品:そうですね。間違った選択をしてしまう1つの理由は、日本企業が重視する「経験主義」にあると思います。

 日本企業に学生が就職する時には、学校で何を勉強してきたかはあまり問われません。入社してから仕事を通じて経験を重ねていけばいいと、社長以下が考えているからです。海外でMBAを取って転職してくる人よりも、生え抜きが重用される例が多いのはその象徴です。社内で積み重ねた経験に価値があると信じているからこそ、日本企業は今でも長期雇用を維持しているのです。

 経営者になるのは、その会社の本業で誰よりも経験を積んだ人。そして、自分が過去に経験して想像できる範囲内で次の戦略を考えようとします。

 自分たちが経験している領域には、当然、同業他社がいます。長い歴史の中で過当競争に陥っている事業も多い。そこで勝負するには大きな金額を張って、競合を振り切らないといけない。そんな発想に至るわけです。

 19世紀ドイツの宰相ビスマルクは「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を残しています。歴史は他人の経験の集合体です。ビスマルクの視点では、自らの経験からしか学ぼうとしない日本企業は愚者に他なりません。

 一方で欧米企業は、他人の経験から学ぼうとします。自社が手掛けていない分野でも関係ありません。米ゼネラル・エレクトリック(GE)が金融分野に乗りだし、ずっとパソコンを作ってきた米アップルが通信機器であるiPhoneを手掛けるようなことは、当たり前に起きています。こうした挑戦は、日本企業の発想ではあり得ません。