僕にできることは何でも

 安藤氏の「前さばきのうまさ」に、一生の恩を感じているというのが、画廊「ときの忘れもの」を経営する綿貫不二夫氏だ。少し長くなるが、綿貫氏の回想を書籍から引用する。

綿貫不二夫(わたぬき・ふじお)
「ときの忘れもの」ディレクター。1945年群馬県生まれ。中央大学卒業後、69年毎日新聞社に入社。販売局に所属し、現代版画センターを立ち上げる。76年独立。同社倒産後、企画会社勤務や編集事務所主宰を経て、95年画廊「ときの忘れもの」(東京・駒込)を開設(写真:日経アーキテクチュア)

 「私(綿貫氏)は大学卒業後、毎日新聞社の販売局に勤めていた。将来の読者獲得のために、全国の小中学校にオリジナル版画を寄贈するという事業企画が採用され、子会社として74年に現代版画センターを創立した」

 「現代版画センターは現代美術を擁護するという旗印を掲げ、その精神を共有する会員に出資を募る共同版元の形を採っていた。安藤さんの初参加企画『MODERN PRINTS 85』では石元泰博、横尾忠則、磯崎新など13人の作家による記念版画集を制作し、84年12月から翌年度にかけて全国巡回展を行う予定だった」

 「84年9月に安藤さんと会い、2点の版画をお願いした。制作は急ピッチで進んだが、実は会社は火の車だった。展覧会を開催している場合ではなくなり、急きょ中止。そして正月に差し押さえられ、1月に修羅場があり、2月に裁判所に駆け込んで自己破産した」

1988年に日経アーキテクチュアが安藤氏にインタビューしたときの誌面

 「安藤版画は刷り上がっていたが、まだサインをもらっていなかった。サインまで終えたものは完成品で会社の資産と見なされ、裁判所が差し押さえる。仕掛品(しかかりひん)は裁判所が押さえても一銭にもならないので、作家と個別に和解手続きを進めた。作家は債権者でもある。和解手続きでは、債権を取り下げてもらう代わりに仕掛品を返すのが最も穏当だった。安藤さんにもその形で全てお返しした」

 「普通はそれで話が終わるのだが、安藤さんは違った。150部全てにサインし、さらにエディションナンバー(限定番号)まで本人が入れて、管財人に送り返してきた。そのうえ安藤さんは、自分のクライアントや付き合いのある人たちに、版画をつくったから買ってほしい、という手紙を送ってくれていた」

 「突然、日本中からお金がじゃんじゃん振り込まれ、驚いた管財人からその知らせを受けたとき、私は泣いた。一度しか会っていない私にここまでしてくれるのかと。彼は作品を寄付してくれたのだ」

 翌年、安藤氏の著書が綿貫氏に届いた際、差し挟まれていた手紙にはこう書かれていた。

「僕にできることは何でもします」

 綿貫氏は再び泣いた。「安藤さんには一生、足を向けて寝られない」

 建築専門誌「日経アーキテクチュア」は11月20日に、書籍『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』を発刊する。安藤氏について詳しく知りたくなった方はぜひご予約ください。

編者:日経アーキテクチュア
出版:日経BP社
価格:2916円(税込み)

厳選した「50の建築」と、独自取材による「50の証言」を通じて、安藤忠雄氏の約50年に及ぶ活動と人物像を浮き彫りにする。大きな反響を呼んだ日経アーキテクチュア誌・安藤忠雄特集でのロングインタビューも収録。数ある関連書籍のなかでも「決定版」といえる1冊。